能登半島地震 帰省先での被災者の安否確認の難しさ

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ジャーナリストの須田慎一郎が1月8日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。令和6年能登半島地震について解説した。

【能登半島地震】能登半島地震で甚大な被害を受けた輪島市内からヘリで逃れ、石川県庁付近を経由して避難する住民ら=2024年1月5日午前11時6分、金沢市(渡辺恭晃撮影) 写真提供:産経新聞社

【能登半島地震】能登半島地震で甚大な被害を受けた輪島市内からヘリで逃れ、石川県庁付近を経由して避難する住民ら=2024年1月5日午前11時6分、金沢市(渡辺恭晃撮影) 写真提供:産経新聞社

令和6年能登半島地震の発生から1週間が経過

1月1日に発生し、最大震度7を観測した令和6年能登半島地震。1月8日午後2時時点で、石川県内では168人の死亡が確認され、住民基本台帳をもとにした安否不明者は323人となっている。

飯田)元日から驚きましたね。

須田)もともと交通の便がよくなく、道路も十分に整備されていないところが心配されましたが、交通網が寸断されるなど、救助・救援に向かえない状況もあったようです。

特殊な地理のなか、限界ギリギリで対応している自衛隊

飯田)“ラーメンチャーハン”さんから、「熊本地震のときと比べて、自衛隊の投入数が極端に少ないという指摘を耳にしましたが、何かお感じになりますか?」とご意見をいただきました。確かに交通の部分があるので、闇雲に人を入れても、結局どこかで詰まってしまうということは痛感しましたね。

須田)誤解して欲しくないのですが、今回、自衛隊はスピーディーに対応しています。自衛隊に対して「対応が少なかったのではないか」という批判がありますが、地理的な特殊性を考えたら、目いっぱいやっているのではないかと思います。

飯田)必死に動いていると思います。いまは片側1車線の相互通行の道が1本しかないギリギリの状況で、ものを流している。しかも海路・空路も使って一生懸命やっています。

須田)時間的にも発災直後、すぐに対応を決めて派遣が行われました。

飯田)時系列で見ると、直後から自主派遣の形で行い、県からの要請も30分後には出ていて、もちろんそれも即座に受理しています。ただ、熊本のときと比べると、熊本には既に1万人規模の部隊がいました。今回はレーダー基地や分屯基地などしかないなか、拠点も少ない場所に何とか人を入れています。しかも、山間地で道が寸断されているので、非常に大変だと思います。

40億円の「プッシュ型災害支援」で終わるわけではない

飯田)プッシュ型支援も行われていますが、政権としても、地理的条件のなかで進めるのが難しいところもあるのでしょうか?

須田)予算についても「どのぐらいの金額が必要なのか」がわからないため、資金使途が明確ではない状況で計上しなくてはなりません。とりあえず、この40億円で状況が明らかになり、「どのぐらいの金額が必要なのか」が出てきた段階で、その都度、予算を計上していく。40億円だけで終わるわけではありません。野党はその辺りの予算の仕組みもわかっているはずなのに、なぜ批判するのだろうと思います。かつて民主党が政権与党だった時期もあるわけですから。

飯田)そうですよね。当時は東日本大震災があって、その対応も行っていたわけですから。

地震が起こりそうな地域を重点的に対策しても意味がない

飯田)今回のような災害が毎年のように起こっていますね。

須田)「地震は予知できない」ということが定着してきています。加えて、日本全国どこで地震が起こってもおかしくない状況になっている。地震が起こりそうな地域を指定し、重点的に対策してきましたが、「それは意味をなさない」ということに気付くべきだと思います。

年末年始で帰省していた人も多く、安否確認の正しい数字が出てこない

飯田)今回の地震は元日に起こったため、安否確認が取れない方の数が非常に大きくなりました。帰省されている方は、住民基本台帳をもとにしてもデータが上がってきません。1つひとつ聞き取りをしないと正しい数字が出てこないので、苦労しているようです。

須田)私の石川県出身の知り合いも帰省していて、「命からがら帰ってきた」と言っていました。同じように帰省していた方々が、年末年始の休みでかなりいるはずなのです。そういった人たちも含めて、今後どういう形でチェックしていくのか考える必要があります。

飯田)私は能登半島にある「のと里山空港」という、穴水町と輪島市の間にある空港を取材しましたが、ちょうど4時過ぎに東京・羽田行きの便があって、それに搭乗する方々も当時はたくさん空港にいたらしいのです。その人たちが足止めされてしまった。周辺の道路も寸断されているので、しばらくまったく身動きが取れなかったようです。結局、2日は空港内で夜を明かしたそうですが、その人たちは地元に住んでいるわけではないので、地元の住民基本台帳には載っていません。多くの人がいるけれど、名簿をつくるわけにもいかないし、なかなか難しかったということです。「のと里山空港」は道の駅や奥能登の事務所も併設されていて、食糧を備蓄する基地にもなっていましたが、その備蓄もあっという間に底をついてしまったということでした。

須田)あの空港は搭乗率6割を超えていたがゆえに、路線が設定されたという部分がありますが、そこは県の主導でやってきた。今後は空港の存在価値を考えてみるべきだと思います。

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