話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は巨人期待のドラフト1位ルーキー・西舘勇陽投手の投球術にまつわるエピソードを紹介する。
昨季(2023年)味わった2年連続Bクラスの屈辱を晴らすべく、阿部慎之助新監督のもと、4年ぶりのペナント奪回と12年ぶりの日本一を目指す巨人。そのためには、昨季チーム防御率3.39(リーグ5位)に終わった投手陣の再編が急務です。
カギを握る1人が、中央大からドラフト1位で入団したルーキー右腕・西舘勇陽です。阿部監督にとっては大学の後輩でもあり、どうしても欲しかった即戦力の逸材。ドラフトでは日本ハムと競合し、阿部監督が自ら交渉権を引き当てました。
西舘の武器は“超速クイック”と呼ばれる独特のモーションです。通常のクイックモーションは、ランナーがいる際、簡単に走られないようにするための投げ方ですが、西舘はランナーがいない場面でも、常にセットポジションからクイックで投げるのです。
しかも西舘はクイックの動作が非常に早く、投球動作開始からキャッチャーが捕球するまでの所要時間が、平均なんと1.1秒。プロでは1.2秒を切れば合格とされていますが、それをたやすくクリアしています。
クイックで投げる場合、投球動作を簡略化している分、球威や球速は通常のフォームより落ちるのが普通です。ところが西舘の場合は、クイックでも最速155キロの力強いストレートが投げられるのです。さらにカットボール、スプリット、スライダーも操り、ゆっくりとしたカーブも持ち球。バッターから見るとタイミングが合わせづらく、非常に厄介なピッチャーです。
西舘が常時クイックで投げるようになったのは、大学3年のときからです。本人によると、この投げ方になった経緯を以下のように語っています。
『2年秋までは左足を上げて投げていたのですが、それが自分の感覚の中でうまくいっていなかったんです。クイックでシンプルに捕手の方向へ押すだけにして、その中で出力を上げられるように取り組みました。これによってコントロールも安定したと思います』
~『4years』2023年6月4日配信記事 より
制球難に悩むピッチャーが、ランナーのいない場面でもセットポジションで投げるケースはよくありますが、西舘の場合は「足を上げずに、いかに速い球を投げるか」を追求していったら、結果的に現在の超速クイックにたどり着いた、というわけです。
偵察に来た他球団のスコアラーたちも、西舘を早くも警戒。中日の岩田スコアラーは、西舘についてこう語っています。
『速いクイックであれだけ制球力が高いのは技術ですし、他の人がマネできないフォーム。変化球も種類が多いのに、クイックで全部投げきれるのは魅力』
~『スポーツ報知』2024年2月8日配信記事 より
クイックでも安定して力強いストレートを投げられるのは、それだけの強靱な体力があるからこそ。そんな西舘を支えているのは、研究熱心な性格です。
西舘はキャンプ中、プロのバッターのレベルの高さを実感。超速クイックも、バッターが慣れないうちはいまのままでも通用するかも知れないが、何度も対戦していると研究されて打たれてしまうと感じたのでしょう。超速クイックだけでなく、左足を腰の高さまで上げるフォームも考案し、さっそく実戦で試しました。
2月25日、西舘はキャンプ地・那覇で行われたヤクルトとのオープン戦に3回から3番手で登板。先頭の丸山和郁を、まずは超速クイックでカウント1-2と追い込むと、4球目に左足をいつもより高く上げました。
『普段のクイックでいったら(バットに)当てられて塁線の方に(安打される)というイメージがわいた』
~『日刊スポーツ』2024年2月25日配信記事 より
つまり西舘は、相手の気配を見て「打たれる予感がした」ので、臨機応変に投げ方を変え、タイミングをずらしたのです。3球目のクイックは本塁到達まで1.3秒でしたが、4球目は1.8秒とあえて“遅らせた”のもポイント。丸山はタイミングを外され、まんまとセンターフライに仕留められました。
その後も西舘は、超速クイックと足を上げるフォームを巧妙に織り交ぜ、ヤクルト打線を翻弄。2イニングを無安打無失点に抑える堂々のピッチングを見せました。
『クイックで足を上げてみたり、セットに入ってからの間だったりを変えながら。指のかかりがよくて、フォームでも得られるものがあった』
~『サンケイスポーツ』2024年2月26日配信記事 より(西舘のコメント)
ルーキーながら、こういう高度な駆け引きができるところも西舘の魅力です。さらにこの試合では、先輩・戸郷翔征から直々に教わったフォークも試しましたが、指に引っ掛けてしまい、ホームベース手前でバウンドする場面も。落差のあるフォークをものにできれば、バッターをより幻惑でき鬼に金棒でしょう。デビュー前から先々のことを考え、既に手を打っているところも、やはり西舘はタダ者ではありません。
またメンタルの強さも西舘のストロングポイントです。中央大時代は、昨年春の東都大学リーグ戦で「勝ったほうが1部残留」という最終戦の駒澤大戦に登板。9回を1人で投げ抜き7安打3失点で完投勝利。チームが危機になればなるほど燃える熱い男でもあります。
今年(2024年)元日付の『スポーツ報知』で「緊張感のある試合やピンチの場面ではどういう気持ちで投げているのか?」と問われた西舘は、こう答えました。
『全部三振を取りにいく気持ちで、精神的な面でいったらピンチでこそ一人で自分が背負い込んで投げている』
~『スポーツ報知』2024年1月1日配信記事 より
この心構えは、阿部監督が今季のキーワードに掲げる“自己犠牲”にぴったり重なります。だからこそ、阿部監督は西舘獲得を熱望したのでしょう。その期待は背番号にも表れています。「17」はかつてスタルヒンや、“ミスター・パーフェクト”槙原寛己といった名投手が背負ってきた番号です。
また西舘にとっても「17」には特別な思いがありました。昨年11月23日、ファンフェスタで初めて背番号17のユニフォーム姿を披露した西舘は、こう語っています。
『球団の歴代の先輩方も着けてきた番号であり、自分も花巻東出身で特別な番号だと思っているので、期待に応えられるように頑張りたい』
~『スポーツ報知』2023年11月23日配信記事 より
岩手出身で、花巻東高時代は春夏通算3度甲子園に出場している西舘。現在メジャーで活躍する菊池雄星・大谷翔平の後輩でもあります。実は菊池も大谷も1年生のときに「17」を背負い、西舘も同じく1年生のときに「17」をつけていました。西舘にとっては、自分の原点を思い出す特別な番号でもあるのです。
また大船渡高出身のロッテ・佐々木朗希は、同郷で同学年。くしくも同じ「17」となりました。もしかすると交流戦で“17番対決”が見られるかも知れません。
中央大時代は優勝を経験できなかっただけに、大学の大先輩・阿部監督を就任1年目で胴上げすること、これが西舘の目標です。新入団発表の席で、西舘はこう宣言しました。
『日本一を目指してやっていかないといけない。そこに自分も貢献できれば』
~『スポーツ報知』2023年11月23日配信記事 より
その意気やよし。「勇陽(ゆうひ)」という名前には「太陽のように周囲へ勇気を与える存在になって欲しい」という両親の願いが込められています。西舘がジャイアンツに力を与える存在になれるかどうか? 決して大げさでなく、V奪還はルーキーの右腕にも懸かっています。