阪神・淡路大震災から30年 改めて必要なこと【みんなの防災】

By -  公開:  更新:

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム「報道部畑中デスクの独り言」(第399回)

阪神・淡路大震災の発生から30年となりました。1月17日には被災地各地で追悼行事が行われ、ニッポン放送では森田耕次記者が現地を取材しました。

1・17のつどい「希望の灯り」はLEDライトになった

1・17のつどい「希望の灯り」はLEDライトになった

一方、東京でも「1.17のつどい」が開かれました。2019年から始まった試みはコロナ禍で中止になった2年間を除いて行われており、私もほぼ毎回足を運んでいます。

5回目の今回は日比谷公園大音楽堂、いわゆる「野音」での開催となりました。「希望の灯り」は現地と同じく「1・17 よりそう」の文字。東京ではLEDライトが灯されました。火気厳禁の条件を満たすことはもちろんですが、関係者は「どこででも祈ることができるようになった」と話していました。

以前、小欄でもお伝えしましたが、震災発生の直後、私も現地に入りました。最初に入ったのは兵庫県西宮市。辛うじて倒壊を免れた家屋もありましたが、本来、地面に垂直に立っているべき柱は多くが傾き、傾き方もバラバラ。平衡感覚がおかしくなったこともありました。神戸市に入ると阪神高速道路の巨大な構造物は大きくねじれ、須磨区では住宅が屋根の瓦で押しつぶされる…劇画の世界のような非現実感がありました。交通の大動脈、国道2号線は大渋滞、フロントガラスが割れた車が“目張り”をしながら走っていました。火災も相次ぎ、倒壊した住宅から火が出て、真冬の乾燥した天気の中、一帯を焼き尽くしたこともありました。

地震発生時刻から12時間後の午後5時46分に黙とう

地震発生時刻から12時間後の午後5時46分に黙とう

今回、東京のつどいに参加した人は200人(主催者発表)。当時、神戸で被災し、いまは首都圏に居を構える人、震災後に生まれた人も集まりました。地震発生時刻から12時間後、午後5時46分には黙とうが捧げられました。

横浜から来た女性は、当時、神戸市内の集合住宅で被災。「一瞬(外が)明るくなった感じがしてガガガっと揺れ始めた。背の高い本棚が倒れてきたが、こたつが受け止めてくれてけがはなかった」と、その時の様子を話してくれました。結婚して横浜へ。すでに社会人と学生になった2人の子どもがいて、「あの時助かっていなかったら、あなたたちはいないのよ」と話したことはあるものの、子どもたちにとっては遠い出来事のようです。

また、神戸で上京し、今年成人式を迎えた大学生の男性も参加していました。「小学校の時に親や祖母から経験を聞いた。次世代の、神戸で生まれ育った身として(記憶を)つないでいきたい」と話していました。

この30年は被災地にとっては苦難の歴史です。神戸市長田区では昨年11月に再開発事業が終了しました。被災地は少し前まで復興の途にあったわけです。震災当時、倒壊した家の下敷きになった家族を目の前で助けられなかった人……筆舌に尽くしがたい経験をされた方が多くいらっしゃいます。そうした方々が口を開くのは、悲しい出来事を繰り返さないでほしいという想いからです。

主催したNPO法人「阪神淡路大震災『1・17希望の灯り』」の前代表、俳優の堀内正美さんは「匿名や個人情報でやりにくい時代だが、もう一度ご近所づきあいを、お隣りをノックする勇気を持ってほしい、そうしないと助からない。自分の命を助けるのは他者を助けること。それがいずれ自分を助けてもらうきっかけになる。30年何ら変わらないことにいら立ちを持っている」と、厳しい口調で話していました。

気象庁・野村竜一新長官

気象庁・野村竜一新長官

一方、この日、気象庁では新しく就任した野村竜一長官の記者会見が開かれました。

「この日に気象庁長官に就任したことに特別な意味を感じている」

こう切り出した野村長官は「自然に対して謙虚でありたい。自然は一度牙をむいたらわれわれはかなわない、そういう相手を対象に仕事をしていることを忘れないようにしていきたい」と述べました。その上で「最終目標は自然災害で亡くなる方々を極力なくしていくということ。必要な情報を適時、的確に出していくことで目標を達成したい」と意気込みを語りました。

そして、阪神・淡路大震災は気象庁にとって「防災の世界でしっかりとイニシアチブをとる省庁になっていこうという気持ちに切り替わったというきっかけになった」という認識を示しました。

震災への記憶は語り継がれていく(日比谷公園 大音楽堂で)

震災への記憶は語り継がれていく(日比谷公園 大音楽堂で)

阪神・淡路大震災以降、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震、そして数々の豪雨災害……日本は“災害の巣”の上にのっていると言って過言ではありません。今月には日向灘沖を震源とする地震があり、昨年8月に続き、南海トラフ地震に関する評価検討会が開かれました。

阪神・淡路大震災30年は節目でしかありません。私たちの意識は変わったのか、何を受け継ぐべきなのかを日々自己検証していくべきだと思います。それは、忘れがちな防災意識を新たに上書きする大切な機会でもあります。

(了)

Page top