#24 末次利光(巨人)伝統の一戦で逆転満塁サヨナラホームラン
公開: 更新:

◎1976年6月8日 後楽園球場
阪神 1 0 0 0 0 1 0 0 0 =2
巨人 0 0 0 0 0 0 0 0 4X =4
HR(巨人)末次5号
今からちょうど50年前の1976年6月8日、後楽園球場で行われた巨人―阪神戦。試合を決める一発が出た瞬間、小躍りしながら真っ先にベンチを飛び出し、ホームベースの手前で両手を広げてヒーローを待ち構えた長嶋茂雄監督。ホームインしてミスターに抱きしめられた殊勲のバッターは、末次利光だった。
前年の1975年、長嶋新監督率いる巨人は「長嶋の穴」が埋まらず、主砲・王貞治の故障も響いて球団史上初の最下位に沈んだ。1976年、長嶋監督に課せられた使命は「3年ぶりのV奪回」。巨人は日本ハムとトレードを行い、パ・リーグで7度首位打者に輝いたスラッガー・張本勲を獲得した。V9を支えたON砲に代わって「3番・張本、4番・王」の「OH砲」が誕生したが、重要なのは2人の後を打つ「5番打者」である。5番が打てなければ、張本・王は勝負を避けられてしまうからだ。その重大な役目を担ったのが末次だった。
1964年オフ、中央大学から巨人に入団した末次。1年目の1965年からV9が始まり、5年目の1969年から「3番・王、4番・長嶋」の後を打つ5番打者に抜擢。ON敬遠で打席が回って来ることも多く「打てないと、スタンド中から溜息が聞こえて来た」というから、そのプレッシャーたるや……。長嶋がホームランを打った後は、場内がざわめく中で集中して打席に立たねばならない。「巨人の5番はつらいよ」だ。だからこそ、打ったときの喜びは格別のものがあった。
長嶋が引退、監督に就任した後も引き続き5番を任された末次。ミスターは末次の大変さをよくわかっていた。現役時代、自分が一塁へ歩かされると、後ろを振り向いて「スエ、頼むぞ!」と声を掛けていたミスター。関係が「監督と選手」に変わっても、末次に寄せる信頼感は変わらなかった。
一方、末次も「長嶋監督を胴上げしたい」という思いは強く、OH砲の後を打つことになった1976年は特に燃えていた。この年は4月に阪神が11連勝を飾り開幕ダッシュを決めると、5月は巨人が14連勝を飾って首位の座を奪った。激しいツバ競り合いが続く中、6月に迎えた阪神との直接対決3連戦。試合前の時点で、首位・巨人と2位・阪神とのゲーム差は2.5。もし阪神が3連勝したら、再び首位が入れ替わる。“伝統の一戦”はお互い負けられない首位攻防戦となった。
8日の初戦、巨人打線は阪神先発・江本孟紀の前に沈黙。8回までわずか1安打に抑えられていた。2点を追う9回、巨人にようやくチャンスが巡って来る。2死一塁から3番・張本が左翼線に二塁打を放つと、阪神ベンチは江本に代え、リリーフエースの左腕・山本和行を投入。4番・王は歩かされ、二死満塁で末次に打順が回って来た。
「王さんが歩かされたとき、諦めたようにお客さんが帰って行く姿が見えた」という末次。長打が出ればサヨナラの場面なのに、自分はそんなに信頼されていないのか……末次の闘志に火がついた。「山本はサッパリした性格だから、ファウルで粘っていれば必ず甘い球が来る」と考え、読み通り甘い球が来たのを逃さなかった。打球はライナーで左翼スタンドに突き刺さる劇的な「逆転満塁サヨナラホームラン」に!
打つ前は冷静だったが、打った後のことはよく覚えていないという末次。それだけ興奮していたのだ。冒頭に記した通り、末次の一発を誰より喜び、ホームベース手前で出迎えてくれたミスター。その模様は翌朝のスポーツ紙一面を飾った。ミスターがホームベース手前で“待機”したため、カメラマンたちもいい画を撮ろうとしてホーム前がごった返すシーンもあった。これで勢いに乗った巨人は、阪神に3連勝。ゲーム差を5.5に広げ、秋にはみごと「前年最下位からのリーグV」を達成した。現役時代はONの陰に隠れがちだったが、この「逆転満塁サヨナラ弾」は末次が“主役”になった瞬間だった。
しかし翌1977年、オープン戦の試合前練習の際、飛んで来た打球が末次の左目を直撃。遠近感がうまくつかめなくなった末次は、この年限りで現役を引退した。その後も指導者として巨人に残り、一軍・二軍の打撃コーチ、2軍監督を歴任。1995年からは現場を離れてスカウト部長に就任し、2005年まで務めるなど編成面でもチームに貢献している。
<チャッピー加藤>





