#40 ヤクルト、大魔神を打ち崩す3者連続ホームラン

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#40 ヤクルト、大魔神を打ち崩す3者連続ホームラン

 

◎2004年8月8日 横浜スタジアム

ヤクルト  0 0 0  0 0 0  0 0 3  =3

横浜    0 0 0  0 1 0  0 1 0  =2

HR(ヤクルト)土橋8号 岩村28号 古田16号

(横浜)多村27号

 

「大魔神が出て来たら、試合終了」……そう言われたほど、1990年代「ハマの大魔神」と呼ばれた横浜ベイスターズの絶対的守護神・佐々木主浩は無双状態だった。キレのある剛速球と落差のあるフォークで打者を翻弄。1992年にすべてリリーフで12勝21セーブを挙げて初の最優秀救援投手賞に輝くと、1995年から4年連続で同賞を受賞した。

 

1998年は1勝45セーブをマークし、球団38年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献。レギュラーシーズンで胴上げ投手になると、西武との日本シリーズでも最後を締めくくって、この年のリーグMVPに輝いた。1999年のオフに、メジャー移籍の意向を表明した佐々木は、シアトル・マリナーズと契約。2000年〜2003年までの4年間で通算129セーブを挙げる活躍を見せた。しかし、故障もあって1勝10セーブに終わった2003年オフ、「日本で家族と一緒に暮らしたい」とマリナーズを退団。日本球界復帰を決意する。

 

このとき、巨人や日本ハムが獲得を検討したが、佐々木が「日本に戻るなら行き先はベイスターズしかない」と明言したため撤退。2004年2月3日、佐々木は横浜復帰会見を行い、4年ぶりに古巣へ戻って開幕から抑えを担うことになった。

 

佐々木は復帰1年目、持ち前のコントロールとフォークを武器に、前半戦は安定した成績を残した。しかし横浜は当時低迷期にあり(2002年・2003年と2年連続最下位)、山下大輔監督は佐々木の起用をセーブが付くときだけに限定していたため、登板機会がなかなか巡って来ない時期もあった。そのうち歯車も微妙に狂い出す。8月4日の中日戦で佐々木は4連打を浴び、1死も取れずサヨナラ負けを喫した。それまで1勝19セーブと負けなしだったが、これが復帰初黒星に。次の登板も抑えに失敗し、嫌なムードのまま8月8日、佐々木は横浜スタジアムで行われたヤクルト戦に登板した。

 

2-0とリードした9回、マウンドに立った大魔神。ヤクルト打線はこの日、初回に1番打者の稲葉篤紀がヒットを打って以降、8回までノーヒットと沈黙していた。「さすがにきょうは大丈夫だろう」と思われたが、この試合でも異変が起こる。1死後、ヤクルトの2番・土橋勝征を2ストライクと追い込んだ佐々木。しかし、決めに行った内角低めのフォークを土橋にすくい上げられると、打球はライナーでハマスタの左翼席に突き刺さった。この時点ではまだ1点リードだったが、ホームラン打者ではない土橋に、伝家の宝刀・フォークをスタンドに運ばれた衝撃は大きかった。

 

続くバッターは、一発のある3番・岩村明憲。ここで捕手・中村武志は、佐々木に初球からフォークを要求する強気のリードに出た。空振りを2つ奪い、岩村を追い込んだ佐々木。しかしまたしても、決めに行った外角低めのフォークを岩村にすくい上げられてしまう。高々と舞い上がった打球は、右翼スタンド中段に届き、試合はたちまち振り出しに。かつての大魔神だったらあり得ない光景だった。

 

こうなると、流れは完全にヤクルトへ。続く4番・古田敦也は、3球目、真ん中低めのストレートをフルスイングすると、これもスタンドへ。まさかの3者連続ホームランで試合はあっという間に逆転した。マウンド上で呆然と立ち尽くす大魔神。3連続救援失敗も、3者連続アーチも、プロ入り後、日米通じて初めて味わう屈辱だった。

 

試合後「こたえたね……。これが勝負の世界でしょ」と語った佐々木。実はこの1ヵ月前から指先の感覚がまひしており、騙し騙しピッチングを続けていたのだった。佐々木はこのとき球団に引退の意向を伝えたが、オーナーに慰留されて撤回。翌年も現役を続行するため、9月に右ヒジの手術に踏み切った。

 

しかし腰や右ヒザも痛め、すでに満身創痍だった佐々木は、翌2005年も開幕早々故障で離脱。代役でクローザーに抜擢されたのは、くしくもマリナーズ時代、傘下のマイナーチームにいたマーク・クルーンだった。クルーンは160キロ台の剛速球を連発し、新守護神として活躍。「ここが引き際」と悟った佐々木は、8月9日、故郷・仙台で行われた巨人戦に1打席限定で登板。親友・清原和博から三振を奪ったのを花道にマウンドを去った。日本で252セーブ、メジャーで129セーブ、日米通算381セーブは偉大な金字塔だ。

 

佐々木は現在、ショウアップナイター解説者として活躍。日本プロ野球名球会の副理事長も務めている。佐々木が支える名球会の現理事長は“3連発”の締めの一発を放った古田だ。ちなみに古田は現役時代、「3者連続ホームラン」をなんと7度も経験。最後の7度目が佐々木から記録したものである。球史に名を残した選手は、やはりどこか不思議な縁でつながっている。

 

<チャッピー加藤>

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