#38 高橋由伸(巨人)、大野豊(広島)に引退決意させる逆転3ラン

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#38 高橋由伸(巨人)、大野豊(広島)に引退決意させる逆転3ラン

 

◎1998年8月4日 東京ドーム

広島  0 0 0  2 0 2  1 0 0  =5

巨人  3 0 0  0 0 0  0 3 X  =6

HR(広島)浅井6号 前田15号

(巨人)清原15号 高橋12号

 

「707試合に登板、148勝100敗138セーブ、防御率2.90」……1977年~98年まで22年間、広島カープひと筋で投げ続け、先発・リリーフの両方をこなし、5度のリーグ優勝に貢献した大投手・大野豊の通算成績である。入団から中継ぎ・抑え・先発と、そのときのチーム事情に応じてどんな役目もこなし、与えられた場で結果を出し続けた。「148勝138セーブ」はそれだけチームの勝利に貢献した証であり、200勝に匹敵する価値がある。

 

島根県出身の大野は、出雲商業高校の頃から社会人チームやプロのスカウトにも注目されていた逸材だった。しかし、女手ひとつで自分を育ててくれた母・富士子さんに苦労をかけまいと地元の出雲市信用組合に就職。ここは地元で唯一野球部があったからだが、硬式ではなく軟式野球部だった。信用組合では窓口業務や営業をこなしながら3年間軟式野球を続け、1977年、春季キャンプ中に広島の入団テストを受けて合格。ドラフト外でプロ入りを果たした。契約金はなし。華々しさとはまったく無縁のスタートだった。

 

1年目の1977年、大野はほとんどファームにいたが、9月に1軍での登板機会が巡って来る。デビュー戦は、広島市民球場で行われた阪神戦。中継ぎでの登板だったが、満塁ホームランを浴びるなど5失点で降板。アウトを1つしか取れず、この年の1軍登板はこの試合だけだったため、シーズン防御率は「135.00」というとんでもない数字になった。

 

このデビュー戦、大野の晴れ舞台を見届けようと、地元・出雲から後援会の人たちが横断幕を用意して応援に来ていた。その目の前で惨憺たる姿を見せてしまい「これで終わった」と思った大野。選手寮まで泣きながら帰ったという。意気消沈する大野を励ましてくれたのが、母親のひと言だった。「たった1回の失敗で諦めるんじゃない。落ち込んでいないで、頑張りなさい!」

 

母親の激励によって気持ちを切り替えた大野は、翌1978年、この年南海ホークスから移籍して来たクローザー・江夏豊の的確なアドバイスもあって、剛速球と多彩な変化球で打者を翻弄するようになる。1978年は41試合に登板。3勝を挙げた。1979年・80年も中継ぎの柱としてフル回転、時には先発もこなし、チーム初のリーグ連覇に貢献。連続日本一の美酒も味わうことができた。

 

1981年からは、日本ハムに移籍した江夏に代わって抑えを任され、1984年からは先発に転向。10勝を挙げ、リーグ制覇と日本一に貢献した。1986年にもリーグ優勝を経験。1988年には13勝7敗、防御率1.70で最優秀防御率のタイトルと沢村賞を受賞。軟式野球出身、テスト入団のピッチャーが、ついにここまで昇りつめたのである。

 

1991年からリリーフに再転向。6勝26セーブで最優秀救援投手に輝くと、1995年からは再び先発に復帰。しかしこの頃から、大野は持病の血行障害が悪化。1996年に手術を受けたが再発してしまう。1998年は42歳にして開幕投手を務めたものの(現在もセ・リーグ最年長記録)「これではシーズン最後まで投げきれるかわからない。今季限りで引退しよう」と決意。ところが、球団と三村敏之監督から「まだやれるじゃないか」と強く慰留され、いったんは思いとどまった。

 

復活を期して、その後もマウンドに上がった大野。8月4日、東京ドームで行われた巨人戦。大野は佐々岡真司の後を受け、2点リードの8回途中で登板した。走者を2人置いた場面で、迎えたバッターはドラフト1位ルーキー・高橋由伸。「巨人の大物ルーキーに対しては自信があった」という大野。原辰徳も松井秀喜も初対戦の打席で三振に仕留めていたからだ。しかし、由伸にはこの自信が通用しなかった。大野が2球目に投じたスライダーを由伸は一閃。右翼スタンドへ叩き込んだのである。手痛い逆転3ラン……

 

その瞬間、気持ちが吹っ切れ「ああ、これでやめられる」と思った大野。球団と監督にも改めて引退の意思が固いことを告げ、了承を得た。大野によると、後日イチロー(当時オリックス)に逢った際「真っ直ぐを打たれたんならともかく、変化球を打たれて、何でやめるんですか!」と詰められたそうだ。そのぐらい惜しむ声は多かった。

 

9月27日、広島市民球場で行われた横浜戦が大野の引退試合となり、2万9千人のファンが詰め掛けた。大野は8回、先発・黒田博樹に代わり2番手で登板。3-1とカープ2点リードの場面で、僅差ゆえ横浜も代打・中根仁を打席に送って逆転を狙う。大野も初球から140キロ台のストレートでグイグイ攻め、6球目、143キロの内角真っ直ぐで中根を三振に打ち取った。通算1733個目の三振を奪い、大歓声に送られながらマウンドを降りた大野。最後まで真剣勝負を通した22年間だった。

 

<チャッピー加藤>

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