
◎1992年10月17日 神宮球場
西武 0 1 0 0 0 0 1 0 1 0 0 0 =3
ヤクルト 0 0 2 0 0 1 0 0 0 0 0 4X =7
HR(西武)デストラーデ1号・2号
(ヤクルト)古田1号 杉浦1号
1950年に始まり、昨年(2025年)まで76年の歴史を誇るプロ野球日本シリーズ。過去、この大舞台で飛び出したサヨナラホームランは18本である。このうち特に語り草になっているのは、1958年、西鉄vs巨人の第5戦で西鉄のエース・稲尾和久が打った日本シリーズ史上初のサヨナラ弾と、1971年、巨人vs阪急の第3戦で巨人・王が完封目前の阪急・山田久志から打った逆転サヨナラ3ランだろう。後者については前回このコラムで触れた。
ここにもう1つ加えるとしたら、私はこの1本を推す。1992年、ヤクルトvs西武の第1戦で、ヤクルトのベテラン・杉浦享が放った日本シリーズ史上初の「代打サヨナラ満塁ホームラン」だ。たぶん昔から日本シリーズを観ているファンの方は、同じ意見の方が多いのではないか。
近所にいそうな親しみやすい顔と、ぽっちゃりした体形で周囲から“ブーちゃん”と呼ばれていた杉浦は1970年、ドラフト10位で愛知高校からヤクルトアトムズ(当時)に左腕投手として入団した。プロ入り後すぐ打者に転向。最初は一塁を守っていたが、1977年に当時指揮をとっていた広岡達朗監督によって外野にコンバートされ、翌1978年は左翼のレギュラーとして活躍。この年、球団史上初のリーグ優勝に貢献し日本一も経験した。
その後も主力として長く活躍。1985年にはいずれも自己最高の、打率.314、34本塁打、81打点という好成績を残している。しかし1990年から野村克也監督が指揮をとると、池山隆寛・広沢克己・古田敦也ら若手選手が台頭。杉浦は控えに回り「左の代打の切り札」として起用されることが多くなった。
1992年は、出場試合数がわずか18試合に激減。杉浦は戦力外になると思い、周囲に「お世話になりました」と挨拶をしていた。それを見て「杉浦、今季限りで引退」と報じた新聞も。ところが……野村監督就任3年目のこの年、ヤクルトは14年ぶりにリーグ優勝を飾り、野村監督はなんと、シーズン中ほとんど出番のなかった杉浦を代打要員として日本シリーズの登録メンバーに入れたのである。杉浦は、14年前の優勝を知っている数少ないメンバーの1人。野村監督は、杉浦のここ一番での勝負強さと経験値を買ったのだ。
10月17日、神宮球場で開幕した注目の第1戦。試合は、森祇晶監督のもと日本シリーズ3連覇を狙う西武が先制するが、ヤクルトがすぐに逆転。しかし西武も終盤に追いつき、試合は3-3と同点のまま延長戦に突入した。息詰まる攻防が続く中、12回裏、ヤクルトは1死満塁とサヨナラのチャンスを迎える。ここで野村監督は「代打・杉浦」を告げた。
杉浦は意気に感じて燃えたのかと思いきや、「エッ? このいちばん目立つ場面でオレなの?」と驚いたそうだ。そして「イヤだなぁ……」と思いながら打席に向かったという。というのは、14年前の思い出が甦ってきたからだ。
阪急と戦った1978年の日本シリーズ第1戦、杉浦は9回裏、2死満塁の場面で阪急のエース・山田と対戦。11球も粘ったがファールフライに打ち取られ、杉浦は最後のバッターとなってしまった。今回も同じ第1戦で、しかも同じフルベース。ストレートが来るとわかっていながら山田の球威に負けてしまった苦い記憶が脳裏に浮かぶ。ガチガチに緊張して、足が震える感覚だったという。
だが、ひとたび打席に立つと、杉浦はその嫌な記憶を拭い去った。ピッチャーは元巨人の鹿取義隆。初球は外角へのストレート。2球目も真ん中付近に甘い真っ直ぐが来たが、コーナーを突いてくると思っていた杉浦はこれを見送ってしまう。0-2と早くも追い込まれ、杉浦はいったん打席を外した。ここで一息入れたのが功を奏する。
「このまま何も振らずに終わったらみっともないな」と思った杉浦は、鹿取が巨人にいたときの対戦経験を思い出した。「まだ低めでは勝負してこないだろう」と読んだ杉浦は、高めのボールにヤマを張って打席に戻った。そして3球目、香取が投じたのはおあつらえ向きの高めのストレート。杉浦は反射的にバットを振り抜くと、打球は神宮球場の右翼スタンドに消えていった。日本シリーズでそれまで誰も打ったことがない「代打サヨナラ満塁ホームラン」でヤクルトはみごと初戦を制した。
「オレはなんてことをしたのだろう……」と思いながら、ダイヤモンドを一周した杉浦。セカンドを回る頃には、首をかしげながら半分泣いていたという。一時は引退を決意したベテランが放った一発は、ファンの記憶に深く刻まれるホームランとなった。私も中継を観ていて感動し「本当によかったなあ。杉浦、まだやれるよ!」と思った。
このシリーズは3勝3敗で最終戦までもつれ、第7戦の7回、1-1の同点、一死満塁の場面で杉浦は代打で起用された。残念ながら決勝点は奪えず、ヤクルトはあと一歩で日本一を逃す。「このままでは終われない」と感じた杉浦は、野村監督に現役続行を直訴。翌1993年もプレーし若手たちにアドバイスを送った。
この年、リーグ連覇を飾ったヤクルトは日本シリーズで西武に雪辱を果たし、杉浦はこれを花道にヤクルトひと筋23年の現役生活にピリオドを打った。杉浦は言う。「現役最後の2年間は、自分のプロ野球人生において、もっとも印象深く、もっとも忘れることができない2年間になりました」
※『60本のホームラン』は今回で最終回となります。ご愛読いただきありがとうございました。
<チャッピー加藤>





