いま、巷で、ちょいとしたグレース・ケリーブームが巻き起こっている… というのをご存じでしょうか?
9月8日から松屋銀座で日本とモナコの外交関係樹立10周年を記念したイベント、その名も『グレース・ケリー展』が開幕しました。
彼女がハリウッド女優時代に獲得したオスカー像はもちろんのこと、実際に着用したクリスチャン・ディオールのウエディングドレス…余りにも有名なエルメスの“ケリー・バッグ”…
さらに、世界初公開!
214個のダイヤモンドが埋め込まれたティアラ…などが所狭しと展示されておりまして、訪れた女性たちをウットリさせています。
折も折、きょう9月14日はグレース・ケリーの命日です。
そこで今日は「クール・ビューティ」と呼ばれたハリウッド女優・グレース・ケリーの傍目には分からない意外な素顔を、彼女の実際の発言を紐解きつつご紹介しましょう!
グレース・ケリーといえば、まさに、おとぎ話のプリンセスを地で行くような伝説のハリウッド女優。
若い頃は、あのイングリッド・バーグマンに憧れて、映画界に入ったのだそうです。
その後、バーグマンと同じように、あのアルフレッド・ヒッチコック監督の寵愛を受けまして、『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』などなど、ヒッチコックの代表作に、次々と出演。
1955年には『喝采』という文芸大作でアカデミー主演女優賞を受賞します。
ことここに至り、まさに我が世の春を謳歌、得意の絶頂の時代… と思いますが、ところが… 実はこのとき彼女は、こんな意外な言葉を残しています。
「オスカーを受賞した日。それは私の人生の中で、一番寂しい時間でした」。
…せっかくのオスカー獲得が「寂しい」とは、どういうことなのか?
実はこの時、彼女には恋人がいなかった。
授賞式のあと、彼女は、誰も待つ者がいないホテルに、ひとり寂しく帰ったのだそうです。
要するに、せっかく名声を得たところで、それを分かち合う恋人がいないと意味がない…
そういう物悲しい心境から飛び出した言葉だったのだそうです。
ところが、このあとがスゴイ!
グレース・ケリーは、オスカー獲得の余勢を駆ってカンヌ国際映画祭に出席。
このとき… モナコを訪れて運命の相手、モナコ公国のレニエ公と出会います。
レニエ公は、あっという間にグレース・ケリーを見染めて、すぐにプロポーズ!
あくる年1956年4月18日、ふたりは「世紀の結婚式」を挙げて、世界中を沸きに沸かせました。
グレース・ケリーは、ひともうらやむハリウッド女優から、ヨーロッパの美しい国のプリンセスへと、華麗なる転身を遂げたわけです。
このとき、かのジョン・F・ケネディは、こんな祝福の言葉を贈っています。
「あなたはかつて、スクリーンの女王だった。そしていま、最も美しい、本当の女王となった。」
なんだか、男でも目がトロ~ンとなるような、あまりにも華麗なる転身ぶりですね。
でも、この「美談めいたエピソード」… ちょっとした裏話があるのをご存じでしょうか?
今でこそ、モナコは世界中に知られていますが、グレース・ケリーがプリンセスとなるまでは、さほど有名な国ではありませんでした。
なにしろ、広さはわずかセントラルパークの半分で、人口は3万人程度の世界で2番目に小さな国です。
つまりレニエ公にとってみれば、世界的な有名女優・グレース・ケリーと結婚することそのものが、母国の大変な宣伝効果になる… という思惑もあったというワケです。
後に関係者の証言で明らかになったことですが…実は、レニエ公は、あのマリリン・モンローもお妃候補のひとりに入れていたのだそうですよ。
しかも、ヨーロッパに古くから伝わる婚約儀礼として、お妃サイドからの「持参金制度」があります。
グレース・ケリーもレニエ公と結婚するとき、当時の日本円にしてなんと「7億円」の持参金を払っています。
さらに公妃ともなると、やはり大変な気苦労があったようです。
結婚後も彼女のもとには映画界からのオファーが絶えませんでした。
特にヒッチコック監督はご執心だったと言われています。
そして本当はグレース・ケリー自身もカムバックしたかったのだそうです。
でも、周囲の猛反対にあって、結局出演はかないませんでした…。
さらに、これまた、実に哀しいというか、暗示的なエピソードがあります。
1981年3月のこと。
グレース公妃はロンドンで開かれる詩の朗読会に出席しました。
この会の主賓は婚約したばかりのチャールズ皇太子(当時)でした。
そして… この朗読会には、チャールズ皇太子の婚約相手の女性も、公式の場に初登場していたのです。
いったい誰か。
そう… 彼女こそ、誰あろう、当時19歳の婚約者、「ダイアナ」だった!
このときダイアナは、予定していたドレスが届かず、サイズが一回り小さいドレスを、着ざるを得ないハメに陥っていました。
胸の部分が露出し過ぎるということで、顔から火が出る思いで、見るからにションボリと、肩を落としていたのだそうです。
このダイアナの様子をみていた、グレース公妃。
ダイアナを化粧室に呼び込んで「どうしたの?」と優しく声をかけた…。
するとダイアナは緊張感が緩んだのか、その場で泣き崩れたのだそうです。
さて… このとき、グレース・ケリーは号泣するダイアナに向かってどんな声をかけたのか。
なんと、こう言ってのけたそうです。
「あなた、心配しないで。これからもっと悪くなるだけだから。」
まぁ達観していると言うかなんというか…
ヘンに優しい声をかけるよりも「覚悟しておいたほうがいいわよ」という具合に勇気付けた!
そして、この言葉を聞いたダイアナはようやく肝が据わった… ということらしい。
このあくる年1982年の今日9月14日。
グレース・ケリーは自動車事故で53年の生涯を閉じました。
後々、ダイアナ妃も不慮の自動車事故で亡くなったことを考えあわせますと、なんだか運命的で悲しい符合に思えてきますね。
ちなみにその2週間後には憧れでありライバルだったイングリット・バーグマンも67歳で亡くなっています。
最後に、晩年の彼女が口癖のごとく自嘲気味に漏らしていたという言葉をご紹介しましょう。
「わたしの人生は“おとぎ話のようだ”とよく言われるけれど、それ自体が、おとぎ話だわ。」
モノクロームのブロマイド──光と影が実に似合った、グレース・ケリー。
でも、その人生もまた傍目には分からない実に微妙な陰影を帯びていたようです。
9月14日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より