九十歳の男の恋 【瀬戸内寂聴「今日を生きるための言葉」】第88回
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男が老いて性的不能になっても熱烈な恋ができ、かつ嫉妬の炎を燃やすという例は、わたしは荒畑寒村氏の上にも見ています。
九十歳のとき寒村氏は四十歳の女性に熱烈な恋をして、毎日原稿用紙十枚も二十枚ものラヴレターを書きつづけました。
その恋文の中には、
「きみを好きになるすべての男に嫉妬し憎悪する。きみが好きになるすべての男にも嫉妬し憎悪する」
と書いてありました。わたしにその恋の苦しさを打ちあけられ、
「この年になってこんな恋をするわたしを軽蔑して下さい。この恋がせめても救われているのは、性愛が伴わないからですよ。しかし、性愛が伴わない分、嫉妬は五倍です」
うめくようにいって泣かれたのには愕(おどろ)いたものの、老いらくの恋に悩む寒村氏をわたしは一度も醜いとも見苦しいとも思ったことはありませんでした。
それはすてきな純粋な男の姿でした。瀬戸内寂聴
撮影:斉藤ユーリ