男、涙の大出世!稀勢の里と縁が深い“中卒たたきあげ横綱”の系譜【ひでたけのやじうま好奇心】

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稀勢の里関が、ようやく、やっとこさ、横綱に昇進いたしましたが…
忘れちゃならないのは、彼が、今時めずらしい“中卒たたきあげ”の横綱である…というところ。

稀勢の里

【横綱昇進伝達式】横綱昇進伝達式を終え表情が締まる稀勢の里=2017年1月25日午前、東京都千代田区 写真提供:産経新聞社

現在、幕内力士42人のうち、“中卒たたきあげ力士”は、稀勢の里関を含め、わずかに7人。
高校を中退した力士を含めたとしても、10人ぽっちに過ぎません。
日大出身の遠藤関、あるいは東洋大出身の御嶽海関などなど、昔でいう「学士力士」が目立つご時世です。
そんな中、稀勢の里関は、あえて退路を断ち、十代半ばにして、実に厳しい相撲の世界に飛び込んだ…。
こういう無骨で昔気質な部分が、われわれ好角家の心の琴線に触れるワケでありますね。

かつて、お父さんの貞彦さんは、こう言ったそうですよ。
「(息子の)体が大きく生まれた以上、日本人として、相撲を選ばせたい。」
これもまた、いい意味で「昭和」っぽくて、実にシビれるセリフじゃありませんか。
そこで今日は、稀勢の里関と縁の深い、“中卒たたきあげ横綱”の系譜を紐解いてみましょう。

まずは… 稀勢の里の師匠筋にあたる、“土俵の鬼”!

■第45代横綱 初代 若乃花

若乃花

大相撲 若乃花が優勝 写真提供:産経新聞社

さる1月27日、稀勢の里関は、晴れの奉納土俵入りを行ないましたが…
このとき、稀勢の里が締めたのが、ほかならぬ初代若乃花関が締めていた化粧まわしでした。
“土俵の鬼”と呼ばれた若乃花だけに、この化粧まわしには、「鬼」が描かれておりました。

まぁ、初代若乃花さんの若かりし頃の艱難辛苦ぶりたるや、それこそ、語り草。
のちの若乃花、花田勝治さんは、1928年(昭和3年)、青森のリンゴ農家の長男として生まれました。
なにしろ昔のことで、10人兄弟です。
ところが、6歳のときに列島を襲った室戸台風のため、リンゴ農園が全滅。
戦地から帰ってきた父親は、傷痍軍人となっていました。
勝治少年は、国民学校(※戦時中の8年制の義務教育課程)を卒業してすぐ、港湾労働者としてバリバリと働きまして、家計を支えていた…。

そして、戦後すぐの1946年(昭和21年)。
相撲巡業の際、飛び入り参加で力士に勝ったのがきっかけで単身上京、二所ノ関部屋に入門を果たします。
ところが当時の二所ノ関には、鬼よりも怖い兄弟子がいた…。それが、かの力道山!
勝治少年は、力道山の鬼のシゴキに負けじと、脛にガブリとかみついた… と言われています。
(※後年、レスラーとなった力道山が黒タイツを穿いたのは、この傷を隠す為だったという噂もあります。)

かの力道山に噛みついたという逸話が広まったせいなのか、どうか。
「土俵の鬼」という異名は余りに有名ですが、幕下の頃は、「オオカミ」と呼ばれていました。
昭和33年の初場所、13勝2敗で2回目の優勝を果たしまして、ついに第45代横綱に。
昭和生まれ、最初の横綱となりました。
ちなみに、初代若乃花の体重107キロは、今に至るも、歴代横綱のうち、最軽量です。
昭和ひと桁生まれ、たたきあげのド根性が偲ばれます。

さて、次なる「たたきあげ」の横綱は…

■第59代横綱 隆の里

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大相撲 横綱・隆の里の不知火型土俵入り 写真提供:産経新聞社

稀勢の里の先代の師匠、鳴門親方ですね。
こちらも青森県、南津軽郡(※現在の青森市)出身です。
柔道部に在籍していた高校1年のとき、ほかならぬ元横綱・若乃花、すなわち双子山親方に直々にスカウトされまして、入門を決意!
15歳で高校を中退、双子山親方と共に、上野行きの夜行列車へと乗り込みます。

実は、この夜行列車にも、いわく因縁がございまして…
同じ列車には、下山勝則という名前の少年も乗り込んでいたんです。
これがのちの第56代横綱、「二代目若乃花」!
つまり、45代(初代若乃花)と56代(二代目若乃花)、59代(隆の里)が、同じ夜行列車に乗って東京を目指した… というわけなんです。
このとき、双子山親方は、若い二人が途中駅で降りて引き返さないように、終点の上野駅の手前まで、寝ずの番を続けた… という話もあります。

1975年(昭和50年)新入幕。
そして、当時は力士として致命的と言われた持病の糖尿病を克服!
81年に入ると、最大のライバル・千代の富士を相手に、怒涛の8連勝をマーク。
(※人呼んで「ウルフキラー」… 今も、「隆の里最強説」をとなえる好角家がいます。)
そして1983年7月場所、千秋楽でこれまた千代の富士との熱戦を制しまして、2度目の優勝。
30歳の苦労人横綱は、「おしん横綱」と呼ばれるようになったんです。
2011 年11月に59歳で急逝されましたが…
草場の陰で、愛弟子の綱とりを、さぞや喜んでおいでのことでありましょう。

尾車親方(※元大関・琴風)は、こう言っています。

「あらゆるスポーツの中で、出身地を詳しく紹介してくれるのは、大相撲だけだ。」

中卒たたきあげの力士が、綱を張り、呼び出しのたびに出身地を紹介される…
故郷に錦を飾るとは、こういうことをいうのでしょう。
稀勢の里関に縁の深い、中卒たたき上げ横綱の系譜をご紹介しました。

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2月1日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より

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