海外に打って出て現地で高い評価を得た歌謡界のサムライたちのレコード【GO!GO!ドーナツ盤ハンター】

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昨今のアナログ盤ブームで、改めて注目されているのが歌謡曲のレコード(ドーナツ盤)。
デジタル音源より音に厚みがあり、またCDでは味わえないジャケットの大きさも魅力の一つ。
あえて「当時の盤で聴きたい」と中古盤店を巡りレコードを集めている平成世代も増えているようです。
そんなアナタのためにドーナツ盤ハンター・チャッピー加藤が「ぜひ手元に置きたい一枚」をアーティスト別・ジャンル別にご紹介していきます。

いよいよ始まったWBC。開幕前は大いに心配されていた小久保監督率いる侍ジャパンですが、1次ラウンドは堂々の3連勝で1位通過。選手たちのポテンシャルは高いので、まあ順当とも言えますが、本当の勝負は2次ラウンドからです。ソウルラウンドで韓国・台湾を下して東京行きの切符をつかんだオランダ・イスラエルが敵地で侍にどんな戦いを挑むのか、楽しみでなりません。
それはさておき、世界で戦う侍ジャパンのように、日本のポピュラー音楽界にもかつて海外に打って出て、現地で高い評価を得たアーティストたちがいます。今回はそんな“歌謡界のサムライ”たちの、ぜひ持っておきたいレコードをご紹介しましょう。

【その①】・・・『MON AMOUR, JE VIENS DU BOUT DU MONDE/沢田研二』(1975)

MON-AMOUR,-JE-VIENS-DU-BOUT-DU-MONDE/沢田研二

「え?ジュリーって海外進出してたの?」と意外に思う人もいるかもしれませんが、実は70年代半ばに何度かヨーロッパに渡り、現地でシングルを出しているのです。それだけなら他のアーティストもやっていますし、別に珍しいことではありませんが、ジュリーが偉大なのは、フランスで出したシングルが20万枚のヒットを記録したこと。それがこの曲です。(ジャケット写真:筆者所有の仏ポリドール盤)
タイトルを日本語に訳すと「恋人よ、僕は世界の果てからやって来た」…つまり、フランス人の彼女に逢いに、日本からパリまではるばるやって来た男の歌なのです。
ジュリーのフランス語は、おそらくフランス人が聴けばカタコトなんでしょうが、「極東からやってきたナゾの美青年」というムード作りが功を奏したような気がします。日本でもまったく同じジャケット写真を使って、日本語盤『巴里にひとり』が発売されました。訳詞は山上路夫が担当しましたが、こちらは日本の恋人と別れ、パリへ傷心旅行をする男の歌で、原曲とシチュエーションが正反対。訳詞というより、完全に山上のオリジナルです。
日本盤のセールスは、フランスとほぼ同じ20万枚ほどでしたが、日本より人口が少なく、ただでさえ外国人アーティストに厳しいフランス人を相手に、国内と同じ枚数のレコードを売ったのは素晴らしい快挙と言っていいでしょう。ジュリーの魅力は、海を越えたのです。
外国の中古盤を扱っているレコード店をマメに覗いていると、ときどきフランスから輸入された本曲に出くわしますので、根気よく探してみてください。値付けは店によりますが、2,000円前後でしょうか。日本盤『巴里にひとり』は500円前後で買えると思います。

【その②】・・・『愛のめざめ/朱里エイコ』(1976)

愛のめざめ/朱里エイコ

日本人歌手の海外進出と言えば、つい忘れられがちなのですが、この人に触れないわけにはいきません。オペラ歌手の娘として生まれた彼女は、1964年、16歳で単身渡米。日本人の海外渡航はこの年に自由化されたばかり。まだ気軽に外国へ行けなかった時代に、中学を出たばかりの女の子が単身、ショービジネスの本場に乗り込んだのだから凄い。
アメリカで修業を積み、やがてラスベガスを中心に全米の主要ホテル・クラブを渡り歩くようになり、実力を認められた朱里エイコでしたが、66年に帰国した際の日本での反応は、なぜか冷たいものでした。
以後も渡米と帰国を繰り返し、米国では高い評価を得ますが、日本では、72年に『北国行きで』がチャート1位を記録するまで、本格ブレイクは訪れませんでした。その後も、国内でのレコードセールスは伸び悩み、次第に彼女は自分の実力と評価のギャップに悩むようになります。
結果、酒に溺れ、2004年に56歳で早過ぎる一生を終えたのですが、全盛時の70年代にリリースしたシングルは、いま聴いても十分聴き応えのある佳曲ばかり。中でもとりわけおススメなのが、米国のファンクバンド、タワー・オブ・パワーと共演したこの曲です。
ジョイントの話は、彼女のステージを見たタワー・オブ・パワーから持ちかけられたようで、ロスのワーナースタジオでレコーディング。実力派の彼らと堂々と渡り合う、そのパワフルな歌声を聴いていると、なぜこれだけの歌手が評価されなかったのか、やはり時代が早過ぎたのだなあ…と思わざるを得ません。本曲、レコードコレクターの評価は高く、2,000円〜5,000円以上で取引されているようです。

【その他、押さえておきたい一枚】

『トップ・シークレット・マン/プラスチックス』(1980)

トップ・シークレット・マン/PLASTICS

テクノ黎明期を代表するバンド。メジャーデビュー直後に米国ツアーを行い、海外でもファンを多数獲得。81年解散。今年、中心メンバーの中西俊夫が逝去。

『KISS IN THE DARK/ピンク・レディー』(1979)

Kiss-In-The-Dark/Pink-Lady

世界40ヵ国で、同じ日にレコードをリリースし話題に。米国盤は37位まで上昇。坂本九以来のビルボード全米TOP40入りの快挙を果たした。

【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5,000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。

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