日本中が見守った引退会見。白、それとも黒にしようかと迷ったそうです。しかし、「晴れやかな気持ちにしたいから」と、いかにも浅田真央らしい、白のジャケットを着用。その表情は、晴れやかで大人の女性の印象を受けた方も多かったでしょう。
「体も気力も全部出し切ったので、何も悔いはないです」。
これまで、女子アスリートの引退会見で最も多くの報道陣が足を運んだのは、2015年12月、なでしこジャパンの澤穂希。300人を超えたことが大きなニュースになりました。ところが、今回は世界中から、約450人。あっという間に用意した400枚のパスがなくなったとのこと。午前11時30分の予定にもかかわらず、1番乗りは午前6時だったそうです。
テレビ、ラジオでも生中継。また、会場が都内のホテルということで、一般客までが会見場へやってきてしまい、整理で大変でした。改めて、浅田は不世出のスーパースターだったことがわかります。オリンピックではバンクーバー五輪の銀メダルが最高でしたが、記録よりも記憶に残る典型。アンチが存在せず、フィギュアスケートの枠にとらわれず、すべての人が浅田に魅せられたことは確かでしょう。
どんな時でも笑顔を振りまき、苦しさを感じさせない。ただ、この日はそんな苦悩を少しだけ、明かしています。14年から1年間の休養。復帰する際は、
「今のスケート界についていけるのかなぁ。(ひざ、腰など)少しつらい部分が多くなって、何とかシーズンは乗り切ることができましたけど…」
と話し、
「2シーズン目は何とか頑張ろうという気持ちでやってきた。でも、(昨年12月の全日本選手権では)もういいんじゃないかなと思った」
と振り返っています。
一方で、自身を「頑固」とも。引退の決断が長引いたのは、
「(復帰したのは)平昌オリンピックに出場することが目標。目標をやり遂げないといけない。自分が言ってしまったこととの葛藤が、ずっとありました」
と語りました。また、巨人軍・長嶋茂雄終身名誉監督が、色紙に添える『野球とは人生そのものだ』と同じように、浅田もスケートとは?の質問に「人生かな」と答えています。
今後はプロのアイススケーターとしてスタートを切る。すでに、7、8月にはアイスショーの公演が決定。浅田が別格なのは、1人のスケーターではなく、いきなり座長をつとめることでしょう。自身がプログラムの構成などを企画して、さまざまなことを演じる。5月からカナダでその準備に入ります。
「やり残したことは何だろう。ないと思った」と自分自身にけじめをつけたと言う浅田。ブログで引退を発表してから、国民栄誉賞など、さまざまな話題が周囲に巻き起こっています。改めて、その存在の大きさに驚かされました。
4月13日(木) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」