昨今のアナログ盤ブームで、改めて注目されているのが歌謡曲のレコード(ドーナツ盤)。
デジタル音源より音に厚みがあり、またCDでは味わえないジャケットの大きさも魅力の一つ。
あえて「当時の盤で聴きたい」と中古盤店を巡りレコードを集めている平成世代も増えているようです。
そんなアナタのためにドーナツ盤ハンター・チャッピー加藤が「ぜひ手元に置きたい一枚」をアーティスト別・ジャンル別にご紹介していきます。
昭和歌謡を好んで聴く若い世代が増えている中、各レコード会社とも過去音源の掘り起こしに本腰を入れるようになりましたが、今月また、意欲的なコンピレーションアルバムがリリースされました。5月24日発売の『コロムビア・ガールズ伝説』がそれで、国内最古の歴史を持つレコード会社・日本コロムビアに在籍した女性シンガーの楽曲・合計100曲を収録した意欲的なシリーズです。
1965〜72年までの「EARLY YEARS」(久美かおり、平山三紀…)70年代中期〜後期の「FIRST GENARATION」(坂口良子、榊原郁恵…)、80〜88年の「SECOND GENERATION」(河合奈保子、冨田靖子…)と、時代別に3タイトルが同時発売されたのですが、かなりマニアックなマイナーチューンも含め、昭和のガールポップが一望でき、その層の厚さには「さすがコロムビア」と唸らずにはいられません。3枚と言わず、もっと出してくださいよ。
曲目などはリンク先を見ていただくとして、今回はその便乗企画。「EARLY YEARS」(1965〜72)の年代=昭和40年代に絞って、個人的に「コロムビアなら、やっぱコレでしょ」と思う3枚を選んでみました。どれも十分入手可能なので、ぜひアナログでも聴いてみてください。
【その①】・・・『太陽は泣いている』いしだあゆみ(1968)
私が最初に聴いた歌謡曲は、2歳の頃にリアルタイムで聴いた『ブルー・ライト・ヨコハマ』(1968)ですが、いしだあゆみはまさに私にとって原点、歌謡曲の聖母です。彼女のレコードデビューは1964年。ビクターに所属、作曲家・いずみたくに師事していましたが、なかなかヒット曲に恵まれず、心機一転、68年にコロムビアへ移籍。その第1弾が本作です。
当時はGSブームの真っ只中で、美空ひばりもブルーコメッツと組んで『真赤な太陽』を歌っていた時代。この曲も、曲調はもろGSサウンドで、タイトルは同じコロムビア所属、エミー・ジャクソンの和製テケテケソング『涙の太陽』を意識したのではないかと。
詞・曲は、橋本淳・筒美京平の黄金コンビ。橋本は、いしだの才能に早くから注目。「新しいポップスを歌わすなら彼女だ」と思っていたそうで、イメージをガラッと変えた本曲はスマッシュヒット。これをステップに、橋本・筒美は同年『ブルー・ライト・ヨコハマ』を書き下ろし、いしだあゆみをトップスターへと導いていったのです。
60年代末、雨後のタケノコのように量産された「ひとりGS歌謡」を代表する一枚、1,000円前後で入手可能です。余談ですが、ピチカート・ファイヴの『モナムール東京』は間違いなく本作へのオマージュです。ぜひ聴き比べてみてください。
【その②】・・・『白馬のルンナ』内藤洋子(1967)
82年に『タモリ倶楽部』の放送が始まった頃、「廃盤アワー」というコーナーがあり、思えば昭和歌謡発掘ブームはそこから始まったような気がしますが、初期に取り上げられたのがこの曲です。
内藤洋子は、元々は少女雑誌のモデルでしたが、その可憐さに目を付けた黒澤明監督にスカウトされる形で、65年、15歳のときに『赤ひげ』で映画デビュー。翌66年、伝説のTVドラマ『氷点』のヒロインを演じて全国区のアイドル女優となり、その人気を受け、67年に舟木一夫と映画『その人は昔』で共演。
ミュージカル仕立ての恋愛ドラマで、白馬とともに海辺を駆けるシーンがありますが、ジャケットに映っているのはその馬です。
ルンナという名前の白い馬に、女の子が「おとぎ話をしましょ」と語りかけるメルヘンチックな歌詞を書いたのは、監督の松山善三。(作曲は大御所・船村徹)歌は正直アレですが、50万枚の大ヒットを記録。歌唱力よりも歌い手自身のけなげさでレコードを売った、最初の成功例かもしれません。
内藤洋子は70年、加山雄三のいとこで、ザ・ランチャーズのメンバーだった喜多嶋修と結婚し、芸能界を完全に引退。アイドルがミュージシャンに弱いのは昔からのことです。その娘が、元女優の喜多嶋舞…このレコードが出てからちょうど半世紀、深くは語りませんが、ホント人生いろいろですよね。
本曲、廃盤ブームの頃は値が上がりましたが、結構売れたので出物が多く、今なら500円くらいで買えると思います。
【その③】・・・『経験』辺見マリ(1970)
「セクシー歌謡三大マリ」(辺見マリ・夏木マリ・渥美マリ)の一人として、私の中では勝手に殿堂入りしていますが、コロムビアの女性歌手の中で、辺見マリは明らかに異質な存在でした。ハーフ特有のエキゾチックな顔に、デビュー曲はフレンチポップス風の『ダニエル・モナムール』(1970)。当時彼女は弱冠20歳でしたが、「滲み出るエロチシズム」がそこにはありました。
『ダニエル…』で下地を作り、満を持してリリースされた第2弾が本曲。セクシーな衣裳を身にまとい「♪ィやめてェ〜ン」と囁くこの曲は世間に衝撃を与え大ヒットしましたが、驚くことに、事務所(渡辺プロ)に無理矢理やらされていたのではなく、辺見本人が提案したんだとか。
「そうでもしないと、天下のナベプロの中では埋もれてしまう」というのがその理由。セルフプロデュース型アイドルの先駆者と言えるかもしれません。70年暮れの紅白歌合戦に初出場を果たしますが、NHKから「刺激の強すぎる曲は遠慮してほしい」と、『経験』を歌わせてもらえなかったのは有名な話です(代わりに『私生活』を熱唱)。
その後も、自分の意思でコロムビアから移籍したり、人気絶頂の72年にいきなり西郷輝彦と結婚を発表して電撃引退(蛇足ですが、その娘が辺見えみり)、その後また復帰するなど型破りな行動が続きましたが、少し前に『しくじり先生』に出ていたのを見て、これも深くは語りませんが、ああ人生いろいろだなと…って、さっきと同じ〆かよ! 500円前後で入手可能です。
【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5,000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。