【新人記者(仮)あいばゆうな取材記】江戸の火消しは大岡裁き?
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【新人記者(仮)あいばゆうなの取材記】6月2日(報道部33日目)
東京・四ツ谷にある“消防博物館“へ行ってきました。
江戸時代からの消防の火消しの歴史や、消防ヘリコプターや昔の消防車の展示などがあり、勉強になりました。
江戸の建物は木と紙でできていて、家と家も隣り合っていたことから、1度火が付くと燃え広がりやすく、火事が頻繁に起きていたそうです。
享保3年、すぐに火消しの対応ができるよう、大岡忠相(おおおか・ただすけ)が、受け持つエリアを決めて、そこに火消しの組を置き、町火消が組織されました。
その後、組の再編が行われ、隅田川以西の町々はいろは48組に、本所・深川は16組に分けられました。
下の写真は、その組のシンボルになっていた纏(まとい)という目印です。
今とは違い、桶で水を投げかけることしかできないので、水で対応できるのはボヤ程度までで、家に燃え移ると、大火になりやすかったそうです。
燃えている家の周りを、道具を使って壊して、火が広がるのを防ぐ“破壊消火“が中心でした。
命がけで家の上に上り、梁を切ったり、屋根を落としたりしていたそうです。
明治3年(1870年)には、イギリスから馬引き蒸気ポンプが初めて輸入され、水による“注水消火”、今の消火活動に近づきます。
輸入された蒸気ポンプを参考に、技術者の市原求(いちはら・もとむ)が国産化に成功したのは明治32年のことです。
石炭で火を起こしてから、放水に必要な上記圧力が得られるまで、およそ20分かかりました。このころから消火栓や救護はしご、救助袋なども設置され始めました。
明治時代の終わりまでには、東京などの主な都市には消防署ができ始め、大正時代には初めて消防自動車が登場しました。
通報設備なども整備され、消火活動に駆け付けられるようになったそうです。
そのほか、消防ヘリコプターの展示や昔の消防車の展示などもあり、遊びに来ていた幼稚園児たちも大興奮な様子でした。
屋外におかれたヘリコプターは、運転席の中に入れるようになっていました。
屋内に置かれたヘリコプターのほうは、前にモニターが付いていて、実際に操縦している気分を味わえるようになっていました。
子供たちに大人気で、順番待ちの列ができていました。
写真は屋外のヘリコプターですが、子供たちにとっては、無料でもとても楽しいレジャー施設だなと感じました。
消防博物館は東京メトロ丸の内線・四谷三丁目駅2番出口からすぐで、入館料は無料。
午前9時半から午後5時まで、毎週月曜日(事前にご確認下さい)が休館です。
消防博物館HPはこちら>