【新人記者(仮)あいばゆうな取材記】災害時に電気が無くなったら?

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【新人記者(仮)あいばゆうなの取材記】5月30日(報道部30日目)

5月30日、JR東日本は、普段車掌や駅員などをしている東京支社管内の社員、およそ300人に対して、津波対応訓練を実施するということで取材してきました。

地震のあと電車が止まり、電気の供給が止まったという設定で、車内から線路に乗客を降ろし、津波を警戒して別の安全な場所まで避難誘導をするという内容でした。
避難訓練の前に、実際に東日本大震災を経験した、水戸支社と仙台支社の運転士の方が、東京支社で講演を行いました。
講演のはじめには、仙台・原ノ町近くで撮影された津波の映像も流され、津波が刻々と高さを上げ、船を飲み込む様子や止まらない悲鳴、緊迫した会話と高所へ走って避難するまでの息遣いなど、テレビでは見たことのないくらいの目を離すことができない映像でした。
また講演の中には、津波が来る前に乗客を別の場所へ避難させたあと、駅舎で津波に遭った運転士の方が、橋の上へと駆け上がって逃げ、一命をとりとめたという話もあり、緊迫した当時の状況がよく伝わってきました。

炎天下、乗客の降ろし方の説明を聞く社員ら 撮影:ニッポン放送新人記者(仮)饗庭佑奈

炎天下、乗客の降ろし方の説明を聞く社員ら 撮影:ニッポン放送新人記者(仮)饗庭佑奈

続いてJR尾久駅へ移動し、実際に訓練が行われました。
その日は大変天気が良く、強い日差しに当たりながらも、東京消防庁の方が、一般の方の降車方法の他、車いすの降ろし方、人をおぶいながら長時間歩くことのできる方法などの説明をしていました。
その後300人の社員が順に止まっている車両に乗り込み、実際に訓練がスタート。
まず、電気の供給がなくなるという設定の下、パンタグラフが降ろされました。

下げられたパンタグラフ 撮影:ニッポン放送新人記者(仮)饗庭佑奈

下げられたパンタグラフ 撮影:ニッポン放送新人記者(仮)饗庭佑奈

電気の供給が止まり、ドアを開けない状態が20分も続くと、夏場は車内が蒸し風呂状態になり、本当に大変なのだということだったのですが、今回はすぐに車掌がドアを開け、避難訓練が始まりました。

避難訓練をする社員 撮影:ニッポン放送新人記者(仮)饗庭佑奈

避難訓練をする社員 撮影:ニッポン放送新人記者(仮)饗庭佑奈

順番にドアがあいた部分に座り、足を空中に降ろして、少しジャンプをするようにして降りていました。
私自身は実際に降車を体験したわけではありませんが、車体に近寄ってみると、電車の床から線路まではおよそ110センチで、意外と高く、例えばヒールなどをはいていた場合、降りた先が平らでない可能性もあることから、気をつけなければいけないなと感じました。
一般の方の他にも、目の不自由な方、高齢者の方なども設定し、実際に杖を持ってアイマスクで目を覆ったり、体の節々に重りや白内障のような視界になるVRのような機材をつけたりと、現実に即した設定で訓練を行っていました。

目が不自由な方の避難を協力して行う社員ら 撮影:ニッポン放送新人記者(仮)饗庭佑奈

目が不自由な方の避難を協力して行う社員ら 撮影:ニッポン放送新人記者(仮)饗庭佑奈

私自身、岩手県盛岡市の出身で、高校2年生のときに校舎の3階の教室で震災を経験しました。
地震の直後、私は家に徒歩で帰り、自宅も家族も無事。
病院と同じ区画だったからか、我が家は1晩ライフラインがストップしただけで済みました。
私は避難をすることはなかったものの、常に想定外の事態にも対応できるよう、正しい防災知識をストックしておかなくてはと感じました。
また避難場所に指定されている場所へ行けばなんとなく大丈夫だろうと思うのではなく思うだけでなく、常に本当に安全なのか自分の頭で考え、判断して行動する癖をつけることが1番身を守ることにつながると思いました。

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