女子ゴルフ O・サタヤ すべて日本とゴルフのおかげ

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サタヤ

最終日、通算12アンダーで優勝し、カップを手に笑顔のO・サタヤ=2017年9月3日ゴルフ5カントリーオークビレッヂ 写真提供:共同通信社

今年、50周年を迎えたLPGA(日本女子プロゴルフ協会)。毎週のように熱戦が展開されています。3日、千葉で行われたゴルフ5レディス最終日は、2位になった下川めぐみが、「まるで、ゲームみたい」と話したように、タイのサタヤが史上初めて、現地ウエイティングから優勝を飾りました。

ウエイティングとは、出場資格がない選手でも、当週で病気や故障などで欠場者が出ると、1日目のスタート前までなら、順番によって繰り上がりで試合へ出られる。そのためには現地で待機しなければなりません。一か八かを狙って、108人の枠へ滑り込む。経費は当然ながら、たとえ出場で着なくても、本人負担です。

それにしても、最終日のプレーは見事でした。「自分には、まったく期待していなかった」と、2位タイからのスタート。これまでの低迷が信じられないような、ショットの切れ味とパッティングの精度で8バーディー、ノーボギーの64をマークしたのです。終わってみれば、2位以下へ5打差をつけていた。14年の開幕戦、ダイキンオーキッド以来、約3年半ぶりのツアー通算3勝目。おそらく、人生で最もうれしかった日でしょう。

ゴルフを始めたのは12歳。お父さんにすすめられたからです。ここまでは日本の女子プロと変わりがありません。ご存じのようにタイにもたくさんのゴルフ場があるものの、貧富の差が大きく、プレーできるのはよほどのお金持ちです。実際、サタヤ家はお父さんが、建設会社の社長さんでした。あくまで、プロになる気持ちなどありませんでした。

ところが、環境が一変したのは、高校時代です。住んでいたバンコクへも不況の波が押し寄せ、経営が傾いてしまった。「自分が生きていくために、ゴルフを選んだ」そうです。タイは、大手ビール会社などがスポンサーになって、ゴルファーの育成に取り組んでいる。奨学金を受け、米国インディアナ州のパデュー大学へ進学します。デザインの勉強を行いながら、プロへ転向。下部ツアーを戦いました。当初、米ツアーで戦うつもりでしたが、移動などを考慮。さらに、「タイへも割と近い日本ツアーがいい」と、11年のプロテストを受験しトップ合格を果たしました。

日本はまさに黄金の国です。4人姉妹の長女で、3人の妹の学費などはすべてサタヤが稼ぎだした。

「妹たちが大学を卒業できたのは、すべて日本とゴルフのおかげです。いつも感謝の気持ちを忘れずにプレーしている」。

趣味は意外にも釣りです。ゴルフを始める前の10歳から、海や川で静かに糸を垂らすことが好き。来日後も、ヒマをみつけては釣りへ行きます。クラブとともに釣道具を持って出かける。

キャディーバッグには、ワカサギ釣り用の小さなリールがアクセサリーとして下がっています。

「苦しいと感じた時、緊張しているなぁ、と思ったら、迷惑がかからないタイミングで、リールを回す。気持ちが落ち着く」

と語っていました。

昨シーズン、故障などの影響で3シーズン続いた賞金シードを喪失。昨日の優勝で、今週から1年間のツアー出場権を獲得しました。ただし、来季の賞金シードをとるには、残り11試合で約1,000万円を上積みすることが必要。

「私は、あと10年、日本のレギュラーツアーでプレーしたい」

と言います。このハングリー精神を見習ってほしい。日本人選手の奮起を期待しましょう。

9月4日(月) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」

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