最終節で勝ち点2差を跳ね返し、ついに川崎が初のタイトル制覇を成し遂げました。リーグ戦、カップ戦、天皇杯で計8度の2位。今年も、また…と思われた矢先、首位の鹿島が終盤で失速し、最終節も磐田とスコアレスドローに終わり、大宮戦で5-0と圧勝した川崎の大逆転Vでした。今季から就任した鬼木監督は、いきなり名将の仲間入りをすることになりました。J1優勝監督は、過去14人だけです。
失礼ながら、地元では有名人でも、川崎を離れると、著名人とはいきません。むしろ、鬼木さんって、誰? そんな人がたくさんいます。年俸が2500万円。J1監督の平均年俸は、約5500万円です。来季、ガンバ大阪の新監督に就任するブラジル人のクルピさんは、約1億7000万円。ガンバから、FC東京へ移籍する長谷川監督も、1億5000万円といわれている。鬼木監督は、来季までの2年契約ですが、早くもフロントから延長オファーが届いたという話も耳にしました。
出身は千葉県船橋市。サッカーで有名な市立船橋高では、中盤で大活躍しています。卒業後は、大学進学を希望したものの、成績がいまひとつで、断念。やむなく、J1の鹿島とプロ契約を結んだというのですから、異質です。他にも、複数クラブからオファーがありました。では、どうして鹿島だったのか。
「試合に出られそうだったから」と言います。ところが、プロは甘くはない。鹿島はJ1スタートの1993年から、あのジーコが強力なチームをつくりあげてきました。出場の可能性が大きいと見込んだつもりが、とんでもない。98年には川崎へレンタル移籍。翌99年に鹿島へ復帰して、また1年で川崎へ。現役で8シーズンを過ごしています。引退後は、育成コーチを3年。トップチームのコーチが7年と、キャリアを重ねてきました。そして、昨シーズン限りで退任した風間監督から、チームを受け継いでいます。
優勝が決定した際、鬼木監督は、
「フロンターレのために、勝ちたかった。選手とサポーターのおかげでタイトルをとることができた」
と言い、
「フロンターレの歴史が動きだした」
と宣言しました。残念ながら、優勝シャーレは鹿島が試合を行ったヤマハスタジアムヘ運ばれていたため当日、間に合わない。しかし、素晴らしい演出が待っていた。シャーレの代わりに、風呂桶を掲げるパフォーマンスを展開。
チームは、川崎浴場組合連合会と銭湯利用促進運動を実施してきました。「いっしょにおフロんたーれ」キャンペーンをサポーターが知っているだけに、バカ受けです。地元密着を展開。選手自らが、商店街などへあいさつ回りをします。現役当時から鬼木監督は、気さくで地元のファンから大人気でした。その姿は指導者になっても全く変わることなし。『鬼木は川崎の宝』という横断幕が出るほどです。
かつて、川崎市は、大洋は横浜へ。ロッテにも千葉へ逃げられた。Jリーグ発足当初は、ヴェルディ川崎が初代王者に輝いたものの、01年からホームを東京へ移しています。フロンターレの優勝は、しいたげられ続けた川崎市の悲願でした。
12月4日(月) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」