長崎原爆投下から73年~消えつつある“当事者の声”を残すためにするべきこと

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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(8月9日放送)にジャーナリストの鈴木哲夫が出演。長崎原爆の日を題材に、唯一の被爆国として日本が考えるべきことについて言及した。

長崎原爆の日~唯一の被爆国として日本は改めて考えなければならない

長崎は今日、73回目の原爆の日を迎える。長崎市の平和公園で平和記念式典があり、原爆投下時刻の午前11時2分に合わせ、黙祷を捧げる。

飯田)長崎市の田上富久市長は、平和宣言で日本政府に対し、国連で去年採択された核兵器禁止条約に賛同するように求めている。今回は国連のグテレス事務総長も式典に初めて参加します。長崎の式典に国連トップが出席するのは初めてということですから、これも非常に象徴的となります。「核兵器禁止条約」が、1つの論点となりますね。

鈴木)そうですね。これは以前、安倍さんも広島で触れていましたが、やはり唯一の被爆国としてやるべきは、世界中のいろいろな意見を仲介する、ある種のいまの日本政府の立場も1つの考え方ですが、やはり被爆国として、被爆した人たちや家族、つまり長崎ですね。そこからすると、「違うのではないか。ちゃんとするべきではないのか」という思いがある。これは当然、議論していかなければいけません。

亡くなりつつある当事者~戦争の悲惨さを後世に残すためにするべきこと

鈴木)それと、最近考えなければいけないと思うのは、今回73回目でしょう? だんだん戦争の当事者が年を取り、亡くなっていかれる。原爆とは違う話ですが、2、3年前の取材の話をします。戦時中には「震洋」という、ベニヤ製の特攻船があったのです。モーターボートみたいな感じです。

飯田)そこに爆弾を積むのですね。

鈴木)とにかく、「こんなのが船なのか?」というくらいの安物です。それで特攻して、何千人も亡くなっているのです。その生き残った方たちを、ずっと全国で取材しました。年齢的にも80代後半です。そのなかの1人が「生きていて、ずっと申しわけないと思い生きてきた。仲間が死んでいくのに、自分は生きていて申しわけない」と言っていました。「戦後70年以上経過していて、ずっと申しわけないと思って生きてきた」ということに、僕はスゴくショックを受けました。戦争とはそういうことなのです。私が何を言いたいのかというと、「当事者が語り継ぐ」ということが、どんどん人が少なくなってしまう。だから、「あれから○○年」とその日を定めてみんなで考えることは大切ですが、同時に語り部がどんどん少なくなってきている。戦争の悲惨なリアリズムが、どんどん消えていくわけです。それをどう語り継ぐか、そろそろ真剣に考えなければいけない。
どうすればいいのか。いろいろあるけれど、そのなかの1つがマスコミ。僕らの役目ですよね。証言を記録したり、物で書いて残したり。そういうことも同時に、僕はこの日に考えていかなければと思うのです。

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