病院への出張散髪「ケンちゃん理容室」を30年続けている理容師のストーリー

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番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】

きょうは、病院などを訪問してお年寄りの髪を切る出張サービスを30年も続け、「ケンちゃん」の愛称で親しまれている79歳の理容師さんのグッとストーリーです。

鹿児島県・霧島市の、とある病院。入院するお年寄りたちが嬉しそうに表に出てきました。
「ケンちゃん、待ってたよ!」「カバン持ってあげるよ!」
……みんなが心待ちにしていたのは、南園謙一(みなみその・けんいち)さん・79歳。通称・ケンちゃん。霧島市内で、「ケンちゃん理容室」を営む謙一さんは、病院への出張散髪サービスを始めて、もう30年になります。

この病院には、認知症や、さまざまな依存症を持つ患者さんが入院しています。散髪専用のスペースはないので、ロビーの片隅にパイプ椅子を置いて仕事を始めます。
「おばあちゃん、元気?」……そんなふうに声を掛け、ひとり15分ほどかけて、髪を切っていきます。
「この散髪の時間が、患者さんにとっての安らぎのひとときになれば、と思っています。私が子どもの頃、父もこういうことをしていましたんでね……」

謙一さんは桜島の近く、鹿児島の錦江湾のそばで育ちました。お父さんも理容師さんで自分の店を持ち、繁盛していましたが、終戦間もない昭和20年9月、昭和の3大台風の1つ「枕崎(まくらざき)台風」が錦江湾を襲い、漁師町のこの地域一帯は甚大な被害を受けました。

小学校に避難していた謙一さんは、台風が過ぎたあと、高台から街を見てがく然としました。
「街がまるごと、跡形もなく、消えていたんです……」

お父さんの理容室も海に流されてしまい、その落胆ぶりは相当なものでしたが、大事な商売道具のハサミだけは持って逃げていました。そして、自分のことはさておき、避難所にいる人たちを励ましながら、進んで髪を切ってあげたのです。
そんなお父さんの姿を見て誇らしく思った謙一さん。お父さんは、バラックを建てて理容室を再開しましたが、お店を再建するのは簡単なことではなく、謙一さんは自分も理容師になって家業を手伝おうと決心します。

ところが、専門学校に通いはじめて1年目……お父さんが突然、肺結核にかかり亡くなってしまいます。
「父と並んで店に立つのが夢だったんですが、叶わなくなってしまいました……」

謙一さんが一人前になるまで従業員さんが間をつなぎ、20歳のとき、お父さんのお店を引き継ぐ形で自分の理容室を開業した謙一さん。お父さんの代のお客さんも、引き続き髪を切りにきてくれました。

新しい理容室は繁盛しましたが、自分のお店を開業したときに背負った借金を返したい一心で、親戚が経営するナイトクラブの支配人として、夜も働くようになりました。昼も夜も懸命に働いた謙一さん。
ところが、景気が悪くなるとお客さんが減り、クラブも閉店。自分で新たにスナックを開業しましたが、これもうまくいかず、かえって莫大な借金に追われることに……。

「そんなことをしているうちに、本業の理容室のほうもおろそかになっていたんでしょうねぇ…。だんだん、お客さんも減っていったんです」
当時、50歳手前に差し掛かっていた謙一さん。奥さんと3人の子どもも抱え、途方に暮れたといいます。
「思い詰めて、一時は死ぬことも考えましたが、そんなときに出張散髪の話が来たんです」。

病院や介護施設を廻り、ベッドに寝たきりの人たちの髪も切りました。最初はお金のために引き受けた仕事でしたが、何ヵ月も通ううちに、患者さんたちの気持ちがだんだん伝わってくるようになりました。
「お客さんと心を通わせながら髪を切るということを、私はつい忘れていたんです。昔、台風の被災者の髪を切っていたときの父の気持ちが、よくわかりました」

ときには髪を切りながら話をした患者さんが、次に訪問したときは亡くなっていた、ということも…。しかし、謙一さんの心には、その患者さんの姿がくっきり浮かんでくるといいます。
「髪を切ることを通じて、お客さんが最後のときを迎えるまで、少しでも笑顔になる瞬間を作ってあげたい。来年80になりますが、体が動く限り、出張散髪を続けていきたいですね」

八木亜希子 LOVE&MELODY
FM93AM1242ニッポン放送 土曜 8:00-10:50

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毎週土曜日 8:30~10:50

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