元プロラグビー選手の西山淳哉が過ごした本場ニュージーランドでの日々

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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、元プロラグビー選手の西山淳哉が出演。ラグビーの本場であるニュージーランドでの生活について語った。

元プロラグビー選手の西山淳哉が過ごした本場ニュージーランドでの日々
黒木)今週のゲストは元プロラグビー選手の西山淳哉さんです。
西山さんは高校生からラグビーを始められたのですか?

西山)そうですね。

黒木)それで、大学はラグビーの名門立命館に入られて。

西山)浪人して勉強して、立命館に入りました。

黒木)その後に、本場のニュージーランドのRFCに加入されるわけですか?

西山)立命館を4年で卒業するときの最後のシーズンは、コーチがニュージーランド人でした。私がお世話になったNorth Shore RFCの出身の方だったので、ニュージーランドにチャレンジしてみようという軽いノリで行きました。

黒木)そこからプロになるわけですよね。

西山)ニュージーランドでは、皆アマチュアで、そのなかからごく限られた人間がプロフェッショナルになって行くという仕組みができています。North Shore RFCもアマチュアの集団で、そのなかで1軍2軍があって、1軍は1軍の大会に、2軍は2軍の大会に出ます。1軍のなかから数名、州の選抜に選ばれていて、その州の選抜からがプロフェッショナルです。

黒木)それで、西山さんはどんなプロセスでプロに?

西山)1年目は2軍のチームでやらせてもらって、私がプロになったのは日本に帰って来て、日本のチームで契約してプロになりました。向こうでやっているときはチームが住むところと仕事を用意してくれて、仕事をしながらプレーするという形でした。

黒木)住むところと、仕事するところをお世話してくれるのですか?

西山)たまたまチームが持っているクラブハウスの2階が何名か住める居住スペースになっていて、そこに住まわせてもらっていました。

黒木)仕事はどういうものを?

西山)いろいろやりましたね。いちばん印象に残っているのは、精肉工場です。マイナス40度のなかで、段ボールに入っている肉を運ぶのですが、肉の塊が、いちばん重いもので40キロ。20~40キロくらいの塊を、冷凍庫のなかで毎日コンテナに積み込むというような仕事でした。

黒木)それってすごく過酷ですけれど。

西山)そうですね。朝の4時から夜の4時まで現場で働きました。その後、6時から練習をするという毎日でした。ハードで過酷ですが、気持ちは強くなりますよね。

黒木)あのときがあるから、という自信にもなって行きますよね。でも不安も大きかったでしょう。

西山)海外ですし、先のことは不安でしたね。職場にはニュージーランド人やトンガ人のチームメイトもいました。いろいろなところから来た選手と一緒に働きながら、そのなかでプロラグビー選手になって行く選手もいますし、家族を持って生活のために仕事をして、ニュージーランドで暮らしている選手もいました。

元プロラグビー選手の西山淳哉が過ごした本場ニュージーランドでの日々
西山淳哉/元プロラグビー選手

■1979年8月22日生まれ。愛知県出身。
■高校生からラグビーをはじめ、関西のラグビーの名門・立命館大学に進学。
■大学卒業後、2004年にラグビーの本場・ニュージーランドのノースショアRFCに加入。
 帰国後、三菱重工相模原ラグビー部に入部。
■2006年に再びニュージーランドに渡り、4年間プレー。
 オフシーズンには日本の大学でコーチとしても活動。
■2011年に国内現役復帰。日本(にほん)IBMラグビー部に所属。
■国内外で活躍した屈指のラガーマン。選手としても挑戦を続けるほか、2014年には「にしやんラグビー教室」をスタート。
 千葉県松戸市から世界へ飛び出して行くラグビーアスリートを育成する取組を開始。
 ラグビーはあぶないというイメージを払拭するため、タックル練習をせずに安全で楽しくラグビーに触れてもらう機会を作っている。
■また他府県でも子供たちにラグビーの魅力を伝える教室などを開催。
 2019年に日本で開催されるラグビーW杯に向け、ラグビーの普及にも取り組んでいる。

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