初優勝の関脇・玉鷲 勝負下手から奮起したきっかけとは?
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。本日は、27日の大相撲初場所千秋楽で、34歳にして初優勝を飾った関脇・玉鷲関のエピソードを取り上げる。
「(睡眠は)2時間半。まだ優勝したことが信じられない」
大相撲初場所で初めて賜杯を手にし、まさに“夢見心地”で会見した玉鷲。一夜明けた28日朝、都内の片男波部屋で会見を行い、優勝を決めた千秋楽の一番を振り返りました。
「本当に真っ白になっちゃったですね。どうしよ。あれ、俺どうやって相撲とるんだっけ?って。本当おかしくなったっすね」
今場所は序盤こそ3勝2敗のスタートでしたが、6日目から連勝街道をバク進。これまで13戦全敗だった横綱・白鵬を12日目に初めて下したところで、初めて優勝を意識したそうです。単独トップで迎えた千秋楽、勝てば優勝が決まる一番。相手は、好調の遠藤でした。
「本当おかしくなったっすね。で、もっかい仕切り直して一からしっかり考えながら、左、右、で、当たりました」
立ち合いから持ち前の強烈な突き押しで相手の出足を止め、突き落としで勝利。その瞬間、感無量の表情を浮かべました。連覇を狙った関脇・貴景勝に星2つの差を付けて、13勝2敗で堂々の初優勝を飾ったのです。
34歳2か月での初優勝は、年6場所制になってから史上2番目の年長記録。初土俵から90場所目での初Vは史上4位のスロー記録という、遅咲きの玉鷲らしい記録ずくめの優勝でした。稀勢の里引退、休場者続出、白鵬も途中休場で、下手をすると盛り下がったまま終わった場所を救った、大功労者と言えるでしょう。
モンゴル出身の玉鷲ですが、20代までは平幕の上位と下位を往復。いわゆる「エレベーター力士」でした。ところが、30歳を越えた2015年から、突如開眼します。188センチ、172キロの体格を活かし、モンゴル人力士には珍しい突き押し相撲に徹し、17年初場所、32歳で新関脇に昇進。30代になってからここまで強くなった力士は、異例中の異例です。
それまでも、「ハマれば強い」と言われていた玉鷲ですが、番付を上げられなかったのは、熱すぎる性格が原因でした。気合が空回りに終わることも多く、ムキになって向かっていったところを、相手にいなされて敗れたり、つまりは「勝負下手」だったのです。
発奮材料となったのは、元付け人で、よく胸を貸していた輝(前頭)が関取になって活躍する姿を見たことで、「自分も負けていられないと思った」そうです。
そして27日は、優勝とともにもう一つ、玉鷲にとって大きな喜びがありました。早朝、次男が誕生したのです。病院で1分だけわが子に会ったあと、再び稽古場へ。「奥さんが頑張った。次は俺の番」と、勝負に徹した玉鷲。記者会見後、病院に向かい、たっぷり我が子と再会しました。
モンゴル人力士のコミュニティーとは「情が移るから」と、深く入り込まないようにし、
マイペースでコツコツと番付を上げてきた玉鷲。この優勝で、もし来場所も連覇を飾れば、一気に大関昇進の可能性もあり得ます。
「1回緊張を味わったので、頑張らなくちゃ」
遅咲きの新大関誕生なるか、3月の春場所に注目です。