話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。12日、白血病であることを公表した競泳・池江璃花子選手。ただただ、無事に回復されることを祈るのみですが、本日は、白血病を克服、オリンピック金メダリストとなり、“恩返し”の行動を行ったオランダの競泳選手のエピソードを取り上げる。
「私自身、未だに信じられず、混乱している状況です」
体調不良のため、遠征先のオーストラリアから緊急帰国した池江。12日、自身の公式ツイッターに〈ご報告です〉とツイート。検査の結果「白血病」と診断されたことを公表しました。
「今後の予定としては、日本選手権の出場を断念せざるを得ません」
日本のみならず、世界にも衝撃を与えた競泳界のエースの告白。本人にとっても、地元開催のオリンピックを前に辛い事態になりましたが、池江はまだ18歳。いまは無理をせず、静養と治療に務めてほしいと思います。
かつてと違い、医学の進歩によって、白血病は決して不治の病ではなく、復帰を果たすアスリートも現れるようになりました。最近だと昨年11月、2年ぶりに復帰したサッカーJ2、新潟・早川史哉(24)の例が挙げられますが、競泳界にも、この病を克服してオリンピック金メダリストとなった選手がいます。
2008年、北京オリンピックで競泳の新種目・オープンエアの初代王者となった、オランダのマーテン・ファンデルバイデンです。
将来有望なスイマーとして注目されながら、19歳のときに「急性リンパ性白血病」の宣告を受けたファンデルバイデン。医師からは「生存できる可能性は低い」という宣告まで受けました。化学療法や手術によって、なんとか命は取り留めましたが、重い後遺症に悩まされ、体力・気力は落ちる一方……。しかし、母親の勧めで再びプールに入ったファンデルバイデンは、「水の中こそ自分の居場所なんだ」と、あらためて気付きます。
それから3年間、過酷なリハビリを重ねたファンデルバイデンは、海で長距離を泳ぐ「水のマラソン」こと、オープンエアのオランダ代表に選出され、正式種目となった北京オリンピックで見事初代王者に……白血病発症から、実に7年後の金メダルでした。
「生きるためにもがいてきた。だからこそ勝てた」「ガン研究に寄付してくれた人々に感謝したい。彼らの好意がなければ、今の自分はない」
自分がメダルを獲れたのも、医学の進歩のお陰。いつかその恩返しをしたい、と考えていたファンデルバイデン。金メダルからちょうど10年後の昨年、11の都市の運河・河川を巡って200キロ泳ぐというチャリティーイベントを行いました。
同時に募金を募り、ガン研究の資金にすると宣言。とは言え、200キロを泳ぐのは並大抵のことではありません。結果的に、合間で少し休憩を挟んだ以外、55時間水中に入り続け、トータル163キロを泳いで無念のリタイア。しかし、懸命に泳ぐその姿は人々に深い感銘を与え、昨年9月現在で、日本円にして約4億5千万円もの寄付が集まりました。
アスリートは、世の人々に勇気を与えることができる存在です。いまはただ、焦らずじっくり治療に専念してほしいですが、池江選手が将来、病気を完治させて再びプールに戻る日が来ることを、世界中の人々が祈っています。
「今は少し休養を取り、治療に専念し、1日でも早く、また、さらに強くなった池江璃花子の姿を見せられるよう頑張っていきたいと思います」(池江選手ツイッター)