天皇陛下在位30年~「象徴とは何なのか」を模索された30年間
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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(2月25日放送)にジャーナリストの須田慎一郎が出演。昨日開かれた陛下在位30年記念式典について解説した。
昨日天皇陛下在位30年記念式典開催
天皇陛下の在位30年を記念する政府主催の式典が、昨日半蔵門の国立劇場で開かれた。式典には安倍総理大臣や都道府県知事、駐日大使、各界の代表者らおよそ1,100人が参列。4月30日に退位する陛下はこの30年を振り返られ、国民への感謝の気持ちを示された。昨日の陛下のお言葉。
天皇陛下)即位から30年。こと多く過ぎた日々を振り返り、今日こうして国の内外の祝意に包まれ、このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごして来ました。天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした。
飯田)陛下のお言葉をお聞きいただきました。少し感極まっていらっしゃるのかなと、いま改めて聞くと思う感じもありましたが。
象徴としての天皇を模索する道
須田)ご退位ということを強く意識された上でのお言葉だったのではないかと思います。30周年記念式典でのお言葉を伺いますと、「象徴」という言葉を多く使われています。いまご紹介されませんでしたが、この一文があります。「憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく続く」。言ってみれば今上天皇、現天皇のご公務は、象徴ということをいかに具体化して行くのか、あるいは国民に示して行くのかを考えながら進められたのだと思います。昭和憲法で「天皇は象徴である」という定義付けが行われましたが、昭和天皇の場合はそれ以前とそれ以後がありますから、まだその象徴ということが具体化していなかった。
改めて、即位からずっと象徴であり続けるという「象徴とはいったい何なのか」を常に模索して、それを国民と合意形成しつつあった。自分だけで「象徴とはかくあるべし」ではなくて、国民との間で意思疎通を図りながら象徴という形を作って行った。それが各地の訪問であったり、国民に寄り添うことであったりと、具体的な形で行動として示されたのだろうと思います。
飯田)長く皇室を取材している人に話を聞いたことがありますが、皇太子殿下の時代に、あるアフリカの国に行かれた。そこは王国だったのですが、その後すぐにクーデターで倒れた。その、王室ごと倒れてしまったということを目の当たりにしたときに、どうしたら国民と共に歩むことができるのかを真剣に考えられたそうです。
当時は共産革命の時代でもあったわけで、皇室というものも盤石かどうかという危機感が、陛下のなかにあったのではないかと指摘する向きもある。時代の流れですよね、そういう意味では。
元首ではなくその象徴であるという前例のない存在
須田)政治体制という点で言うと、世界のほとんどの国は共和制か、立憲君主制をとっているわけですよ。形の上で言うと、日本も立憲君主制であることは間違いありません。ですから国家元首という言葉の点では、日本の首相は元首ではありません。他の国の大統領に当たる国家元首は日本においては誰なのか。普通で考えたら天皇陛下なのです。ただ、その記載は憲法には無い。元首というところに軸足を置いて行くのかと思ったら、そうではなく、象徴という新しい形をとった。「元首ではないけれど、その象徴という存在である」と。これは先例がないために非常に難しいことだと思うのですよね。
飯田)そうですよね。そこを模索されて来た30年だったと。
飯田浩司のOK! Cozy up!
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