ヤクルト・高津監督 新指揮官が考えるブルペン再編
公開: 更新:
話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、10月1日に就任会見を行ったヤクルト・高津臣吾新監督にまつわるエピソードを取り上げる。
「(今後のキーマンとなるのは?)……僕じゃないですかね。選手は全員キーマンだと思います。現場のいちばんの責任者になりましたので、僕がしっかりしなきゃいけないなと」
1日に球団事務所で行われた、ヤクルト・高津新監督の就任会見。バレンティン・山田・村上と3人のスラッガーを擁し、リーグ2位の656得点を誇りながら最下位に沈んだ原因は、「投壊」でした。チーム防御率は12球団ワーストの4.78。つまり5点以上取らないと勝てない状況だったわけです。
そこで白羽の矢が立ったのが、投手出身の高津監督です。現役時代は通算286セーブを挙げ、黄金期のスワローズを支えました。引退後、2014年に1軍投手コーチとして古巣に復帰し、2015年には14年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。この年は救援陣が充実していたことも勝因の1つでしたが、高津コーチがリリーフ投手を整備し、抑えの極意を伝授したことが大きくモノを言いました。
また、メジャー経験があるのも高津監督の強みです(ロッテ・井口監督に続き2人目)。2004年からホワイトソックスに移籍。メジャーで最初に対戦した打者は、ヤンキース・松井秀喜でした。移籍初年度は、開幕から24試合連続無失点を記録。「ミスターゼロ」の異名を取る活躍を見せました。
2006年に帰国し、ヤクルトに復帰。その後、韓国・台湾・日本の独立リーグでもプレー。国内外でさまざまなスタイルの野球を見て、ヤクルトで野村克也監督、ホワイトソックスでオジー・ギーエン監督と、日米を代表する名将の薫陶を受けたのも大きな財産になっています。
「入団したときの監督が野村監督で、野球の難しさ、奥深さを学びました。アメリカではギーエン監督に、野球の楽しさ、チームというファミリーの大事さを学びました」
2017年から3シーズン、ヤクルトの2軍監督を務め、指揮官としての経験も積んだ高津新監督。自分に課せられた使命もしっかり認識しています。
「投手陣を立て直すことが、チームを立て直す第一歩だと思っています。1軍・2軍の投手コーチで、素晴らしい投手陣を作って行きたい」
コーチ人事も急ピッチで作業が進められていますが、新監督の片腕となる1軍投手コーチには、元メジャーリーガー・斎藤隆氏の招聘が有力視されています。斎藤氏は1998年、横浜で日本一を経験。2006年からドジャースへ移籍し、クローザーとして活躍。3年間で12勝81セーブを挙げました。メジャーでは5球団を渡り歩き、2013年から生まれ故郷・仙台の楽天に移籍。この年のリーグ優勝にも貢献しています。
高津監督とは年齢も近く、メジャーで抑え投手として活躍した経歴も同じ。ブルペン再編に「メジャー流」を導入したいという意図が見える人事です。
日米の野球の違いとしてよく指摘されるのが、ブルペンでのリリーフ投手の調整法です。日本では早い回に1度肩を作り、出番の直前にまた肩を作ってマウンドへ……というパターンが主流で、試合展開によっては「肩だけ作って出ない」というケースもよくあるのです。このことが余分な疲労を生み、ひいては故障の原因になることもあったりします。
一方、投手の肩を消耗品と考え、球数も厳しく管理するメジャーでは、リリーバーが肩を作るのは登板の直前だけ。サッと作って、サッとマウンドへ……が主流です。短時間で肩を作る能力が求められるので、ピッチャーとしては大変ですが、その分肉体的な負担は減ることになります。
今季のヤクルトは、梅野=68試合、ハフ=68試合、マクガフ=65試合、近藤=59試合と、60試合近く投げたピッチャーが4人いますが、全員防御率は3点台。彼らの負担を軽減させるために、高津監督はメジャー式調整法を導入するのか? やり方を変えるのなら、選手とコンセンサスを取ることも必要ですが、高津監督は会見でこう語りました。
「僕らしく、スワローズらしく。いい伝統は継承しつつ、明るい、素晴らしいチームを作って行きたい」
「明るいチーム作りとは、選手が能力を発揮しやすい環境作り。しっかりと意見交換ができる、話し合いができる環境を作ることが、僕の仕事です」
これまで高津監督が体験した、さまざまな野球を総合した上での「スワローズらしさ」……2020年、新指揮官がどんな「らしさ」を見せてくれるのか、注目です。