タイガー・ウッズ 最多勝記録に導いた18番ホールの“勘違い”
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、10月28日に千葉で行われた、男子ゴルフ「ZOZOチャンピオンシップ」で、米ツアー史上最多タイの82勝目を挙げた、タイガー・ウッズ選手にまつわるエピソードを取り上げる。
「とても長い1週間だった。5日間ほど首位にいたような気分だ」(ウッズ)
日本で男子ゴルフの米ツアー初開催となった「ZOZOチャンピオンシップ」(千葉・アコーディア習志野CC)は28日、悪天候のため順延された最終ラウンドの残りが行われ、タイガー・ウッズが優勝。この大会の初代ウィナーになると同時に、米ツアー通算82勝目を挙げ、サム・スニードの持つ最多勝記録に並ぶ偉業を達成。新設のこの大会は、歴史的な大会になりました。
今年(2019年)は大型台風や記録的豪雨に見舞われ、大きな被害を受けた千葉。「ZOZOチャンピオンシップ」も、2日目が豪雨災害のため中止。翌日に順延された第2ラウンドは、ギャラリーの安全を考えて無観客試合となりました。
第3・第4ラウンドの36ホールを実施した27日には、日曜日ということもあって、男子ツアーとしては20年ぶりに2万人を超えるギャラリーが観戦に訪れましたが、最終ラウンドの一部が翌28日に順延。
運営面など諸事情から、28日の観戦者は2500人ほどに限られましたが、ウッズは初日から首位を走り完全優勝。しかも大記録達成で、大会を大いに盛り上げてくれました。
今年4月、ウッズは14年ぶりにマスターズを制覇。米ツアー最多勝利記録に「あと1勝」に迫っていましたが、日本でプレーするのは2006年、宮崎で行われたダンロップフェニックス以来、実に13年ぶりのことでした。
大会前の会見で「日本はとてもファンが多いし、人気がある。大会を楽しみにしているよ」と語っていたウッズ。
8月にヒザ手術を受けた後、最初の実戦ということで、初日は3連続ボギーでスタート。ところがその後、怒濤の9バーディーを奪って首位に立ち、ファンを沸かせたあたりは、さすが千両役者です。そのまま最終ラウンドまでトップを譲らず、完全優勝を果たしました。
最後まで競り合ったのが松山英樹というのも、日本のゴルフファンにとってはたまらない展開となりました。28日に再開された最終ラウンド残りは、単独首位のウッズが12番ホールから、3打差の暫定2位で追う松山が、1ホール少ない13番からスタート。最終組のウッズは、松山のプレーをすぐ後ろで見ながら回っていました。
「きょうはヒデキ(=松山)がチャージをかけ、私がミスをしたので接戦だったと思う」と戦いを振り返ったウッズ。再開最初の12番は右バンカーに入れてボギーを叩き、松山と2打差に。
ウッズは14番でバーディーを奪い、再び3打差に広げましたが、15番でわずか1.5mほどのバーディーパットを外してしまいます。
一方、松山は1つ先の16番で5mほどのパットを沈めバーディー。この時点で再び2打差に。ウッズは突き放すチャンスを逃し、一瞬、流れが怪しくなって来ましたが、17番は双方パー。2打差のまま、最終ホールを迎えました。18番はパー5。松山がバーディー、ウッズがボギーならプレーオフの可能性もありました。
先に打った松山のショットと、グリーンでの歓声を聞いて「18番ではパーを獲らないといけない」と思い込んでいたウッズでしたが、実際は、松山はパーで終了。その“勘違い”もいい方に作用し、持ち前の集中力を発揮したウッズは、ウイニングパットを沈め、バーディーでフィニッシュ。終わってみればトータル13アンダー。2位・松山に3打差を付け、歴史的な勝利を飾ったのです。
試合後の表彰式では「タイガー!」「タイガー!」と、異例のタイガーコールが起こりました。これは、出身地の千葉で米ツアーの試合を開催しようと奔走したZOZO創業者・前澤友作氏が「タイガーがやってくれました! 一緒に『タイガー』とコールしましょう!」と呼び掛け、ギャラリーが応えたもの。前澤氏の横で、ウッズも笑顔を見せました。
いつも大勢のファンが来てくれる日本が大好き、と言うウッズ。今回、ウッズが驚いたのは、無観客試合になった第2ラウンドの途中で、「タイガー!」という声援が聞こえたことです。「なぜ、いないはずのギャラリーの声が?」と振り向くと、大勢のファンが金網越しに声援を送っていたのでした。
宿泊先で、記録的な豪雨を目にし、千葉の惨状にも心を痛めましたが、雨に翻弄された今回の大会を歴史的快挙で飾り、日本のファンに最高の形で応えました。
「悪天候でも支えてくれて、感謝しています。また日本でプレーできることを楽しみにしています。来年、また戻って来るよ!」
と、来年(2020年)のZOZOチャンピオンシップ出場も約束したウッズ。その前に、東京オリンピックも行われます。1984年、まだ幼い頃にロス五輪のアーチェリーを父親と一緒に観戦したというウッズは「出られたら嬉しいね」と宣言。2020年も、日本で“ウッズ劇場”を堪能できそうです。