志村けんさんと「2人でグチるのが楽しかった」高田文夫氏が明かす“修業時代”

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高田文夫氏が、3月30日のニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」の中で、29日に新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなったお笑いタレントの志村さんとの“修業時代”の思い出を明かした。

志村けんさん 2014年12月2日  撮影場所:東京都新宿区 写真提供:産経新聞社

「笑わせてくれた分だけ悲しくなるね。二枚目の役者さんはあまり悲しくならないけれど、お笑いの人はたくさん笑わせてくれると同じ量だけ悲しくなる。本当に笑わせてくれたから」

このように同番組冒頭から切り出した高田氏。つづけて、志村さんとの出会いのきっかけとなった“修行”時代を赤裸々にを語った。

「お互いに駆け出しの時だよ、何だかわからない同士で。志村さんが1つ年齢は下だけれど、あの人は高校からすぐいかりや(長介)さんのところにボーヤで入って、俺は大学からこの世界に入って。うちのお師匠さんの塚田茂というのがドリフターズの日劇の演出なんかを全部やっていたから、いかりやさんと仲がよくて、俺と松岡孝、鈴木哲の3人は小僧っ子で「お前ら勉強してこい」と言われて『(8時だョ!)全員集合』(TBSテレビ系)に預けられるんだよ。まだ21~22歳で何にもわからない中、行くといかりやさんが死ぬほど怖いんだよ。週に3日は昼の3時くらいに集合で、夜中の2時、3時に解放されるまでひとことも口をきけないんだよ俺たち。でかい会議室の司会者席にいかりやさんが座って、あとはこっちにディレクターや作家、メンバーや美術さんが全部座って。俺らは黙ってアイデアを紙に書いて渡しても、いかりやさんは思いつくまでずっと黙っている。それで俺たちはいちばん駆け出しだから、会議室のいちばん隅っこに目が合わないように隠れて息をひそめているわけだよ」

そして、いよいよ志村さんとのコミュニケーションをつぶさに思い返した。

「休憩しにタバコを吸おうと思って、ドアをそっと開けてそっと出ると、志村さんたちがバケツに水を入れて立っているんだよ。大変なんだよ、いかりやさんが何か言ったらお水を持って行かなきゃいけないから。で、俺がそーっと出ていくと、志村さんが『いかりや、うるせえだろ?』なんて言って、俺も『塚田茂うるさいんだよな。どんだけ偉いんだ、あいつら!』なんて言って、2人でグチるのが楽しかったね。それが週に3日。地獄の青春なんだから」

厳しい環境の中での“グチ”の言い合いを懐かしんだ高田氏。そんな『全員集合』での修行時代であったが、「俺は裏切って逃げて『(オレたち)ひょうきん族』(フジテレビ系)へ行って。でもそれが逆に恩返しだよ。お世話になりましたっていうので裏番組をやった」と心のうちを明かす高田氏。ただ、その後は立場も番組も違うため口もきけなかったという。

しかし、高田氏がニッポン放送でこの「ラジオビバリー昼ズ」を始めてからは、志村さんが何度も出演をすることとなった。そのなかで最近の出演となる2009年の4月24日の放送の音声も番組では紹介。高校卒業の直前に、いかりや長介氏の家に直撃してボーヤになったというドリフターズ入りのエピソードを話していた。

さらに高田氏はつづけた。

「たけしさんと俺で『ビートたけしのオールナイトニッポン』の生放送をやっていたとき、『ちょっと勉強させてください』と言って志村さんと作家さん2人が来て最後まで聞いていたことがあって、『どうですか?』と聞いたら『到底私にはできない仕事です』と言って帰っていった」

この意外な逸話について、

「周りの人が“オールナイトニッポン”とか『やりませんか?』と声をかけたからだろうと思うんだよ。でも、たけしさんがウワーっとしゃべって、これは“しゃべり”は勝てないと。自分はコントを作ろうと。そういうライバルがいたから余計によかったんじゃないかな。そして、志村さんはコントの役作りで“バカ殿”とか“変なおじさん”をつくっていったわけだよ」

……こう解き明かすと、最後には、

「偉大な喜劇人だったよね」

と、強く実感をこめて語った。

番組情報

高田文夫のラジオビバリー昼ズ

FM93/AM1242ニッポン放送 月~金 11:30~13:00

番組HP

高田文夫先生と、キャラクターの濃~いパーソナリティがお送りする「昼休みのお笑いバラエティー」ラジオビバリー昼ズ!


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