4月12日(日)、女優の戸田恵子がパーソナリティを務めるラジオ番組「戸田恵子 オトナクオリティ」(ニッポン放送・毎週日曜14時~14時30分)で、NHK連続テレビ小説『エール』主人公のモデルとなっている作曲家・古関裕而(ゆうじ)さんを特集した。
この春からスタートした、俳優・窪田正孝が主演するNHK朝ドラ『エール』。古関さんは80年の生涯で、歌謡曲から軍歌や応援歌、『モスラ』といった映画音楽まで、生涯で産み出した曲は5000曲以上。昭和という激動の時代に、人々の心に寄り添う数々の曲を生み出した古関さんは、どんな人物だったのか。
■銀行員として働きながら作曲を続ける
古関さんは、1909年福島県福島市生まれ。音楽が大好きで10歳の頃には楽譜を読めるようになり、独学で作曲をはじめる。高校時代は、いつもハーモニカを携帯して、勉強するよりハーモニカを吹いて作曲していることが多かったが、高校在学中に実家の呉服店が倒産。銀行に就職し、銀行員として働きながら子供の頃から憧れていた作曲家・山田耕筰に楽譜を送り、交流が始まった。またこの銀行員時代には、イギリスで開催された作曲コンクールに応募して入賞している。
■文通だけで結婚!
古関さんがイギリスで開催された作曲コンクールに入賞し、この快挙を伝える新聞を読んだ内山金子(きんこ)さん。熱烈なファンレターを送ったことが縁で文通を重ねるようになり、二人は実際に会うこともなくスピード結婚。古関さんが20歳、内山さんが18歳と、駆け落ち寸前のような恋で、当時としても珍しいことだった。
■タイトル「エール」は、人々を“応援する曲”を多く生み出したことが由来
結婚直後、コロムビアレコードの顧問だった山田耕筰の推薦で、コロムビア専属の作曲家として迎えられる。『阪神タイガースの歌』、通称「六甲おろし」、『巨人軍の歌 闘魂こめて』、『ドラゴンズの歌』、夏の全国高校野球大会のテーマとして知られる『栄冠は君に輝く』、1964年東京五輪のための『オリンピック・マーチ』など、数々の応援歌を生みだした。
今回の東京オリンピックに、もしも古関さんが曲をつけるなら、どんなメロディだったのだろうか。
番組情報
女優・戸田恵子が大人のクオリティ・オブ・ライフ(上質で豊な生活)をエンジョイするための「人・モノ・コト」にフォーカスする番組です。
大人の会話が弾むプチトリビア、大人が生活に取り入れたくなる情報をお届けする30分。ぜひお付き合いください。