けらえいこ~『あたしンち』は自らの家族をモデルに描いた漫画

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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に漫画家のけらえいこが出演。ベストセラーとなった漫画『あたしンち』を書くことになった経緯について語った。

けらえいこ~『あたしンち』は自らの家族をモデルに描いた漫画

ニッポン放送「あさナビ」

黒木)毎日、さまざまなジャンルのプロフェッショナルにお話を伺う「あさナビ」、今週のゲストは漫画『あたしンち』の作者のけらえいこさんです。『あたしンち』は、お父さんとお母さんと、みかんちゃんというお姉ちゃんと弟の4人家族の日常生活を描いていらっしゃるのですけれども、『あたしンち』を描き始めたきっかけは何だったのですか?

けら)最初は読売新聞の日曜版に掲載していました。私の前任者の方が描くのをやめてしまうので描いてくださいと、いきなり来たお話だったので、あまり考える暇がなかったのです。だから手近なところで、自分の家族をモデルにして家族のフィクション漫画を描こうと、慌てて描き出した感じです。

黒木)それがいきなり好評で。

けら)1冊本にまとまったところで文春漫画賞をいただいてしまって、そこから注目されて描き続けていましたけれども。

黒木)フィクションとおっしゃいましたが、『あたしンち』に出て来るような豪快で朗らかなお母さんなのですか?

けら)そうです。母親は割とあの通りの人で、顔も割とあんな感じです。小柄で、すぐパーマをかけちゃう。そのものです。

黒木)そのもの。お父さんも?

けら)実際に無口で、子ども心に「うちの両親っておかしいな」と笑うことが多かったので、そのままネタに使っているものも多いです。

黒木)そんなけらさんですけれども、連載が7年半ぶりに再開したということですが、18年続いた連載を1度おやめになって、それでまた再開した、ということですよね。

けら)そうです。読売新聞のときは途中でアニメが始まりました。アニメが始まった漫画家さんにはいろいろなタイプがいて、まったく関わらないという人もいるのですが、私の場合はスタッフも使わない方針で漫画を描いていたので、いろいろなことに駆り出されて疲れてしまったのです。連載をしていた18年の最後の方は、アニメのことが大変でめちゃくちゃ疲れてやめてしまった。震災が起きたこともあって、いろいろなことが潮時かもと思ったのです。それで1度やめたものの、完結はさせていないし、はっきりと断言せずに疲れてパタリとやめてしまったのですが、その後、出版事情を含めて周りの環境が変わりました。アニメもテレビだけの時代からネット配信で観る人が増えたり、出版も私たちのときは景気のよい職業だったと思うのですが、担当編集さんがやめてしまったり、いろいろな事情があって、漫画家さんもネットで描くような時代になって来ました。

黒木)時代が変わって、新たな気持ちになって連載を始められたということですか?

けら)少し疲れが癒えたということと、もう1つは描ける環境に変わって来たということがあります。たまたま『AERA』という描く場所をいただけた。しかも漫画は普通、白黒で描くではないですか。それがカラーで描けるということで始められたというのもあります。

けらえいこ~『あたしンち』は自らの家族をモデルに描いた漫画

ニッポン放送「あさナビ」

けらえいこ/漫画家

■1962年、東京生まれ。
■東京都立井草高校卒業。早稲田大学第二文学部卒業。高校・大学ともに漫研所属。
■1987年、4コマまんが『3色みかん』(ヤングサンデー)で漫画家デビュー。 早稲田大学漫画研究会の先輩であった上田信治さんと結婚。
■1991年、本人の結婚生活を書き下ろした漫画『セキララ結婚生活』がベストセラー。また『たたかうお嫁さま』も刊行。のちに連続ドラマとして放映された。
■1994年6月、高校時代の自らの家族をモデルに日常生活をつづった『あたしンち』を読売新聞日曜版で連載開始。人気作品となりアニメ化・映画化もされた。※アニメは2002~2009年。また2015~2016年まで放送された。
■1996年、『あたしンち』が第42回文春漫画賞を受賞。
■2010年、単行本『あたしンち』が累計1000万部を突破。翻訳出版されるなど、海外でも人気になっている。
■2012年、『あたしンち』の足かけ18年の連載を終了。
■2019年12月、雑誌「AERA」にて『あたしンち』の連載を再開。
■その他、数々の作品を発表。埼玉西武ライオンズのファンとしても知られる。

番組情報

黒木瞳のあさナビ

毎週月曜〜金曜 6:41 - 6:47

番組HP

毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳

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