「道徳と商業は乖離してはいけない」~渋沢栄一に学ぶ商業哲学
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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(3月22日放送)に政治学者・大和大学准教授の岩田温が出演。ここへ来て改めて見直される渋沢栄一について解説した。
改めて見直される渋沢栄一
第一国立銀行の他、王子製紙や大阪紡績など500もの企業設立に関わり、日本経済の基礎をつくったとされる偉人、渋沢栄一。2024年に刷新される1万円札の図柄に選ばれ、また、大河ドラマの主人公としても改めて見直されている。
飯田)にわかに渋沢栄一ブームがいろいろなところで起こっています。この渋沢栄一という人物をどうご覧になっていますか?
明治維新のなかで、漢学の才能のある人が重要な役割を果たした~「資本主義を日本に根付かせること」を人生のテーマとした渋沢栄一の存在
岩田)明治維新が、世界のなかでなぜうまく行ったのか。江戸時代の幕藩体制だったものが、この明治維新を成し遂げて、国民国家として近代国家になって行くわけです。これを、私も政治学者ですから、多くの方と同じように、薩長が幕府を倒して、それでできたのだと思っている。しかし、相手の政権を倒せば、スムーズに国民国家が、近代国家ができるということではありません。法律を整えなくてはいけない。または資本主義社会というものを根付かせなくてはいけない。そのなかで、江戸末期の漢学の才能のあった人たちが、適材適所という形になって、重要な役割を果たしていたのです。
飯田)なるほど。
岩田)そのなかで、最初は尊王攘夷までやろうとしていた渋沢栄一が、この「資本主義を日本に根付かせるのだ」ということを人生のテーマにしていた。ここも面白いところだと思います。もう1つは、いまの、「お金さえ稼げればいい」という考え方が資本主義だと思っている方は、「それは間違いだ」ということを、渋沢栄一から学ぶことができると思います。
パリ万博へ一橋家の家臣として行った渋沢栄一
飯田)確かに、イメージと全然違うなというのは、明治政府に入ったお役人さんたちは、いろいろなところからいろいろな人材を集めて来た。派閥などを意識していたら、立ち行かなかったということが、台所事情としてあったようですね。
岩田)そうですね、やはり人材は幕府にかなりいたわけです。渋沢栄一は、農民と商人の間くらいの感じだったのですが、大活躍しました。
飯田)咸臨丸に同行したからなど、いろいろ聞きますが、渋沢栄一自身もそうだったのですか?
岩田)渋沢栄一は、パリ万博のときにパリに行っているのです。これは徳川の一橋家の家臣として行っているわけです。
飯田)一橋家の家臣、最後の将軍の慶喜の出たところですよね。
道徳と商業は乖離してはいけない
岩田)慶喜の弟さんをフランスまで連れて行く係をしていたのです。大政奉還してしまい、戻って来て、その後、明治政府に勤め、すぐ辞めます。たくさん会社をつくったということも大事なのですけれども、彼の商業哲学が、資本主義の精神に最も近いのです。『論語と算盤』という本があります。この論語というのは、道徳と言ってもいいと思うのですが、「道徳と算盤、商業というのは乖離してはいけない」と。「両立していないと国としてうまく行かない」と言っています。また「個人としても、商売がうまく行かない」ということを説き続けているのですけれども、この精神が大事なのです。
飯田)論語、当然、最初は中国語、漢語で書かれているものだから、漢学者たちが明治政府に入っていた。そこが背骨になったというのも、相通じるものがあるわけですか?
岩田)その通りです。漢学者たちは、自由など、いろいろな概念をつくりましたが、漢学の江戸末期の教育水準は、驚異的なほど高かったということを、我々はもう1度認識した方がいいと思います。
飯田)そして、明治維新で分断されたわけではないということですね。
岩田)そうです。
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