宮城県石巻でイワシ、サンマ、金華サバなど、三陸の新鮮な旬の魚を缶詰にして出荷している水産加工メーカー・株式会社木の屋石巻水産で広報を担当する松友倫人(まつとも みちひと)さんが、上柳昌彦アナウンサーがパーソナリティを務める、ラジオ番組「上柳昌彦 あさぼらけ」内コーナー『食は生きる力 今朝も元気にいただきます』(ニッポン放送 毎週月・金曜 朝5時25分頃)に出演。2011年東日本大震災から、今年2021年で10年。被災した当時のエピソードを明かした。
「くじらの大和煮」「金華さば味噌煮」といった缶詰で知られる木の屋石巻水産。同社は海から150メートルほどの位置にあり、水揚げされたばかりの鮮魚をすぐに工場へ運び、加工していた。旬のおいしさがつまった絶品缶詰は多くの人を魅了していたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災で、工場や事務所、倉庫など全て津波で失う事態となった。
■地震の瞬間
上柳:東日本大震災から10年ですが、当時10年前はどういう状況でこの地震の瞬間を迎えたのですか?
松友:とにかく立っていられなかったのを今でも覚えています。その場で伏せるしかないという状況で。会社が海から150メートルくらいの場所で、津波が来るからすぐに逃げようと、みんな散り散りになって逃げました。
上柳:この津波は、会社も工場も全部流してしまったわけですよね?
松友:そうですね。私は震災が起きてから3日目に会社に行きまして。
上柳:その3日間、どこにいたんですか?
松友:1日目は山の上で車の中で過ごし、その後は近くに避難所が無かったので、歩いて行ける距離にあった会社のアパートに行って、部屋にあるものをみんなで持ち寄りながら難を逃れました。工場からそのまま逃げて来たので、みんな長靴で、そこからずっと靴は長靴しかない状況でした。
上柳:津波の後というのは、ちょっと信じられない光景だったと思いますが。津波で流されてしまった缶詰はどれくらいだったんですか?
松友:結果的には40万缶ではあったんですが、当時の会社の記録を見ると、倉庫には100万缶以上の在庫があったようです。
■倉庫跡地から缶詰が見つかる
上柳:その流されてしまった缶詰を、被災された方が拾って食べたことによって生きながらえた、という報道が忘れられないです。
松友:実は私もそれで生き延びることができた人間で。自衛隊の方が道を作ってくださってはいたんですが、被害が大きすぎて物資を運ぶことができなく、避難所にも行けず、孤立地帯の中で生活を強いられていました。生き残ることはできたんですけど、生き延びられるのかというので、自分の中でものすごい不安がありました。その中で、「会社に缶詰が残ってないかな? 缶詰があったらどうにか生き延びられるよね」ということで、一緒にいた社員達と倉庫へ行ったら、泥だらけではあったんですけど、缶詰が残っていて。中を開けたら大丈夫なものがたくさんあって、これでどうにか生き延びられる! と思ったのを今でも覚えています。
上柳:そして、その流された缶詰を買い求めてくれる方もいっぱいいたそうですね。
松友:そうなんです。食料も何もない中で、当面の飢えをしのぐことができる食料として、私も津波にのまれた缶詰を食べ、配れる限りの所にも配りました。でも、売り物にならないんですよね。
上柳:へこんだり、傷ついたりしていますからね。
松友:さらに、津波がかぶってヘドロとかも付いてしまったので、捨てるしかないなと思っていたら、震災前から親交があった、都内の経堂という地域の飲食店のみなさんが……。
上柳:世田谷の、小田急線の経堂ですか?
■泥だらけの缶詰を買い取ってくれた、東京・経堂の人々
松友:そうです、そこのみなさんが会社の心配をしてくださって、泥だらけでも大丈夫だったら(食べられるなら)私たちが買うよ、と言ってくださって。
上柳:ああ、そんな事があったんですね……。缶詰は本当に保存のきくもので、図らずも地震の時にその威力を発揮したわけですが、その後、缶詰を作るということにまた何か思いがあったんじゃないですか?
松友:缶詰は大震災の時にも幅広く使っていただける商品ですが、東日本大震災の時には我々が被災してしまいました。
上柳:はい。
松友:元々、会社は海の近くだけにしかなかったのですが、内陸に工場を作ったり、倉庫を分散したりしてリスク分散をして、今度は何かあった時でもちゃんとお役に立てるようにしようと、そういう思いで今までやってきています。
上柳:地図を見て、ずいぶんいろんな所に工場があるんだな、と思ったんですがそういうことだったんですね。この10年間で会社を再建するというのは、もう本当に大変だったでしょうね。
松友:震災直後もそうでしたし、会社をやり直すというのは、スケジュール的にも金額的にもなかなか厳しい条件の中でやらなければならなくて。
上柳:そうですよね。
松友:震災から2年後に工場を建てることができたんですが、でも、その2年間に商品を何も販売しなくていいかと言えば、そうでもなく。そういう中なので、作れる缶詰も限られていたのですが、落語家・林家たい平さんが、震災後の石巻に、東京からのバスツアーをご自身で企画されて、何回も何回も来てくださったんです。
上柳:はぁ~!
松友:現地で落語会をしつつ、「売っている商品をみんなで買おう!」と言い、自ら「散財ツアー」と名付けたツアーを組んでくださって。
上柳:なるほど。
松友:そこで、「種類が無い」という状況を説明したら、林家たい平さんが「僕、絵が得意な方なので、やりますよ!」みたいな感じでラベルを作ってくださり、種類を増やせたんです。
■マニアもお勧めのさば缶『金華さば味噌煮』
上柳:以前、この番組コーナー『食は生きる力 今朝も元気にいただきます』に缶詰博士の黒川さんがおススメの缶詰をいろいろ紹介しまして、その中で「木の屋さんの『金華さば味噌煮』が絶品!」だと。
松友:ありがとうございます!
上柳:その『金華さば味噌煮』を試食させていただきますが……鯖がみっしり入っていて、柔らかいこと! 本当においしいですよね。身のほろほろ感、この味付けもちょうど良くって素晴らしいですよね! この、「金華さば」というのはどういった鯖なんですか?
松友:この石巻というか、三陸の沿岸は寒流と暖流がぶつかる潮目が形成されているので、魚のエサがたくさんある場所なんです。そこに、日本沿岸を周回している鯖が来て、そのエサをたくさん食べて丸々太って。一年の中で一番脂が乗っている鯖なんです。
上柳:うんうん。
松友:石巻港に水揚げされ、市場の担当者がさばき、脂乗りとかを確認して「これは金華さばだね」という風に判断した鯖です。
上柳:「金華さば」はランクの高い鯖なんですね。
震災後の大津波が襲ったあと、支援物資が届くまでの数日間、たくさんの人々を救った木の屋石巻水産の缶詰。また、泥まみれのサバ缶を東京の人々が買い取り、ボランティアが一つ一つ丁寧に洗い、売られる様子はメディアでも多く取り上げられ、いつしか「希望の缶詰」と呼ばれるようになった。石巻自慢の海の幸が詰まった缶詰はどれも、マニアも唸る絶品なのでぜひ食べてみては。
株式会社木の屋石巻水産・松友倫人さんと、上柳昌彦アナウンサーの詳しいトーク内容は、「食は生きる力今朝も元気にいただきます」特設コーナーHP(https://www.1242.com/genki/)から、いつでも聞くことが可能だ。
番組情報
「上柳昌彦 あさぼらけ」内で放送中。“食”の重要性を再認識し、「食でつくる健康」を追求し、食が持つ意味を考え、人生を楽しむためのより良い「食べもの」や「食事」の在り方を毎月それらに関わるエキスパートの方をお招きしお話をお伺い致します。
食の研究会HP:https://food.fordays.jp/