話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、防御率1点台でセ・リーグ首位の阪神タイガースを牽引する青柳晃洋にまつわるエピソードを取り上げる。
「変則右腕」と呼ばれて来た男が、いまや球界のど真ん中に。阪神タイガースの青柳晃洋が交流戦明け最初の試合、そして、東京五輪代表に選出されてから最初のマウンドとなった22日の中日戦でもナイスピッチング! 大野雄大との投げ合いを制し、7回4安打1失点(自責0)の好投で今シーズン6勝目を挙げました。
『大野さんは素晴らしいピッチャーなので、本当にロースコアの試合になるのは分かっていましたし、そういうピッチャーに勝ててすごく良かったなと思います』
~『日刊スポーツ』2021年6月22日配信記事 より(青柳のコメント)
試合後にはこんなコメントで、ともに侍ジャパンで金メダルを目指す竜のエース左腕に投げ勝った喜びを語った青柳。これで防御率は両リーグで唯一の1点台(1.96)となり、防御率争いで堂々のリーグ1位につけています(成績は24日時点)。
2015年ドラフト5位で入団後、昨季までの5年間は判で押したように防御率3点台だった男の「覚醒」とも言える変化が、首位を走る阪神の快進撃を牽引しています。
サイドスローとアンダースローの中間から投げ込む変則フォームがトレードマークの青柳。自ら「クオータースロー」と命名するこの投げ方は、もともとは消極的な選択から始まったものでした。
『小6の時に、上投げがキレイにできなかったからです。コーチがつきっきりで教えてくれて、当時は(元ロッテの)渡辺俊介さんや(元ヤクルトの)林昌勇さんを見よう見まねでやっていました。上投げは自分よりすごい人がいっぱいいたので、その後、中学、高校でもサイドスローで勝負していこうと決めました』
~『サンケイスポーツ』2019年2月8日配信記事 より(青柳のコメント)
それがいまや、この変則フォームが球界を席巻。特に低めに沈むツーシームでゴロを打たせるのが最大の持ち味です。
6勝目を挙げた中日戦でも、打者25人と対峙し、ゴロは半分以上の13。侍ジャパンの稲葉篤紀監督も、青柳の選出理由として「ゴロを打たせる投手」であることを高く評価。また、阪神の矢野監督も青柳の「五輪適性」について、こんなコメントで後押ししています。
『現役時代に08年北京五輪に出場し、侍ジャパンのバッテリーコーチも務めた矢野監督は以前に「(五輪会場の)横浜のように狭い球場だと、青柳の打球を上げさせない投球や対戦経験がないところも有利。世界と戦うためにはそういう投手も必要だと思う」と評していた』
~『スポーツ報知』2021年6月2日配信記事 より
そんな青柳が侍ジャパンにいることにどこか安心するのは、ここ最近の投球内容や結果以外にもあります。過去に世界を制した日本代表を振り返れば、世界の大打者たちを翻弄したサブマリン投手たちの姿があるからです。
大会連覇を果たした2006年と2009年のWBCでは渡辺俊介(当時ロッテ)、2019年の世界野球プレミア12では高橋礼(ソフトバンク)。また、公開競技ではあったものの野球競技で唯一五輪金メダルを獲得した1984年ロサンゼルス大会では、当時はより希少だった下手投げ投手の吉田幸夫(当時プリンスホテル)が胴上げ投手となった実績があります。
また、世界一に届かなかった2013年・2017年のWBCや2015年のプレミア12では牧田和久(当時西武)が活躍。各年代の野球日本代表でサブマリン投手の存在がブルペンに彩りを与え、外国の打者たちを撹乱させて来た歴史があるのです。
青柳自身は、この変則下手投げはコンプレックスで「本当は上から投げたい」願望も以前はあったと言います。
『下手投げはかつて、コンプレックスだった。神奈川出身で松坂大輔に憧れていた。「ずっといやで、上から投げたかった」。小学6年から始めた投げ方だ。周囲にはバカにするようにマネもされたという。中学に入り、1度は上から投げたが肘を痛めた。打者が怖がるのを見て、自信を持つようになった。「いまでも上から投げたいくらい。でも勝負できないのが分かっているし、この形だから勝負できている」。人と異なる生き方はいまでは誇りだ』
~『日刊スポーツ』2017年2月22日配信記事 より
それがいまや、球界を代表するサブマリン投手に。かつての自身が渡辺俊介の投球フォームを参考にしたように、五輪での勇姿が「未来のサブマリン」を生むきっかけになる可能性も十分あります。そしてそれこそが青柳にとって最大の夢でもあるのです。
『青柳には夢がある。「格好良くない投げ方だけど、青柳のマネって言って投げる子が将来出ればいいと思っています」』
~『日刊スポーツ』2017年2月22日配信記事 より