話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、10月26日、ヤクルトで悲願のリーグ制覇を味わったベテラン・青木宣親選手にまつわるエピソードを取り上げる。
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『目の前の一戦に集中してやっていった結果だけど、優勝がほしかったので本当にうれしいです』
~『サンケイスポーツ』2021年10月27日配信記事 より(青木宣親のコメント)
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2年連続最下位から、驚異のV字回復を見せ、10月26日に6年ぶりのリーグ制覇を飾った東京ヤクルトスワローズ。「チームスワローズ」「絶対大丈夫」を合言葉にチームが一丸となり、高津臣吾監督は就任2年目にして宙に舞いました。
短期間でチームを立て直し、頂点に導いたその手腕はもちろん讃えられるべきですが、「全員一丸野球」を陰で支えたベテランの存在も忘れてはいけません。今年(2021年)でプロ18年目、現在39歳の青木宣親です。
青木は2014年、米メジャーリーグ・ロイヤルズでプレーしていたときに、アメリカンリーグ制覇を経験していますが、ヤクルトでは優勝未体験でした。惜しかったのは、渡米前年の2011年です。ヤクルトはシーズン終盤まで首位を走りながら、落合博満監督率いる中日に逆転優勝を許してしまいました。
青木は結局、優勝の喜びを味わうことなく海を渡ることに。前回ヤクルトがリーグ制覇を果たした2015年は、まだメジャーに在籍。青木は復帰4年目にして悲願の「ヤクルトでのV」を果たしたのです。
青木の古巣復帰が決まったのは、2018年1月31日、キャンプインの前日でした。前年(2017年)までメッツに所属し、FA(フリーエージェント)の状態だった青木。メジャー球団からのオファーをギリギリまで待っていましたが、FA市場の動きが鈍く、ヤクルト復帰を決断しました。復帰会見で、古巣に戻った決め手を聞かれた青木はこう答えています。
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『自分はポスティングで去っていった感じだった。そんな自分を温かく迎えてくれたこの球団を愛しているし、今は優勝させることしか考えていません』
~『日刊スポーツ』2018年2月7日配信記事 より
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決め手は「スワローズ愛」……青木には、再び温かく迎え入れてくれた古巣に対する感謝の思いがずっとあったのです。その恩に報いるには、メジャーで得た経験をチームに還元し、胴上げの輪に加わること。復帰を決めた日から、それが青木の一大目標となりました。
青木の「スワローズ愛」を示すエピソードを1つご紹介しましょう。前回優勝した2015年のシーズンオフ。この年、初のトリプルスリー(3割・30本塁打・30盗塁)を達成した山田哲人が、青木が渡米前(2010~2011年)につけていた「背番号1」を引き継ぐことになり、契約更改後に発表されました。
「1」はチームの中心選手が代々背負って来た、いわば「ミスタースワローズ」を象徴する背番号。青木のあと、「1」を受け継ぐにふさわしい選手が現れるまで4年間空き番になっていたほど、重みのある番号です。
山田が「1」をつける抱負を語ろうとした瞬間、突然、会見場のドアが開きました。現れたのは、「背番号1」のユニフォームを手にした青木。これには山田もビックリ! このサプライズ、ヤクルトの衣笠球団社長が、オフで帰国中の青木に依頼して実現しました。
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青木 「衣笠社長に『お前から手渡してほしい』と言われて。ヤクルトの1番は特別な番号。若松(勉)さんや池山(隆寛)さん、岩村(明憲)さん。中心選手がつけてきた。プレーだけでなく人間的にも(チームを)引っ張って、この番号で日本一になってほしい」
山田 「偉大な方の番号。過去最大のサプライズだと思う。プレッシャーに負けないように来年も頑張ります」
~『サンケイスポーツ』2015年12月9日配信記事 より
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この「伝承式」から2年2ヵ月後の2018年2月、青木はヤクルトに電撃復帰。山田にとっては、これも嬉しいサプライズでした。1番は山田に譲ったため、青木の背番号は入団時につけていた「23番」に。2人が一緒にプレーするのは、山田がデビューした2011年以来、実に7年ぶりのことでした。
2011年は、青木が「1」で山田が「23」でしたが、青木の復帰後は、山田が「1」で青木が「23」と入れ替わりました。青木は、自分に代わってチームリーダーとなった山田をできる限りバックアップしようと決意します。
ヤクルト復帰1年目の2018年は162安打、打率.327と申し分ない活躍を見せ、2019年も145安打、打率.297とヒットを量産した青木。コロナ禍で開幕が3ヵ月も延びた昨年(2020年)も113安打を放ち、打率はリーグ3位の.317。30代後半にして安定した成績を残しているのは、まさに驚異的です。
高津監督1年目の昨年、青木は指揮官たっての希望でキャプテンを引き受けました。その役目は、今季から山田が継承。昨年オフ、FA権を行使せず、7年総額約40億円(出来高払い含む)でヤクルト残留を決めた山田は、高津監督に「キャプテンをやりたいです」と自分から申し出ました。
このことが、何より嬉しかったと言う青木。昨年オフ、3年総額10億円の契約を結んだ際、山田への「キャプテン禅譲」についてこう語りました。
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『山田はヤクルトの顔。引っ張っていく選手になってほしいですし、自発的にキャプテンをやりたいと言ってくれて、本当にうれしかったです。哲人のこともサポートできるように』
~『サンケイスポーツ』2020年12月5日配信記事 より
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2人の「キャプテン継承式」に登場した高津監督は、青木を「終身名誉キャプテン」に指名。つまり「引退するまで、後輩たちを引っ張って行って欲しい」ということです。新監督を胴上げするどころか、2年連続最下位という結果に終わったことを申し訳なく思っていた前キャプテン・青木としては、燃えないわけがありません。
今季、ヤクルトはチーム内で複数回、新型コロナウイルス感染が発生。青木も1月、4月には濃厚接触者となり、自宅で隔離生活を余儀なくされました。特に4月はシーズン中なのに練習もできず、復帰に向けた調整は想像以上に困難だったと言います。
そんななかでも、グラウンドで戦う後輩たちのことを思い、激励を忘れなかった青木。4月2日、巨人戦の試合後にはこんなことがありました。
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『2日の巨人戦後、決勝の2ランを放った村上のスマートフォンに、一本の通知が入った。
「ナイスホームラン」
新型コロナウイルスの検査で陽性判定を受けた西田の濃厚接触者として離脱を余儀なくされた青木から届いた激励の連絡だった』
~『サンケイスポーツ』2021年4月7日配信記事 より
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これは「グラウンドにはいなくても、俺はお前たちと一緒に戦っているぞ」というメッセージでもあります。村上もまた、こういう青木の姿勢を見て、チームを引っ張って行くとはどういうことかを学びました。
青木はヤクルトに復帰して以降、ベンチの最前列で声を上げて後輩たちを励まし、常にチームを鼓舞して来ました。その姿は、山田や村上らの指針となり、若手たちもその背中を追う……高津監督が就任1年目、青木をキャプテンに指名したのは大正解でした。もしかすると、青木の姿を見た山田がキャプテンを志願して来ることも、高津監督は織り込み済みだったのかも知れません。
優勝を決めた10月26日のDeNA戦、青木は「2番・レフト」でスタメン出場。同点の3回、無死一塁からライト前にヒットを放ってチャンスを拡大し、この回一挙4点のきっかけをつくりました。ヤクルトは快勝し、これで「マジック1」。DeNA側の粋な計らいで、横浜スタジアムのビジョンに甲子園のゲームが映し出されました。
筆者もスタンドで観ていましたが、阪神最後のバッターが内野ゴロを打った瞬間、いち早くベンチを飛び出した青木の姿が印象的でした。マウンドで全員を迎えるためです。青木は、スポーツ紙に寄せた優勝手記で、こう語っています。
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『今年は優勝できましたけど、今年だけじゃなくて来年もしたい。やっぱりずっとスワローズが強い状態をつくっていくことが大切だと思います。常勝軍団ヤクルトの時代をつくっていけるように、これからも頑張っていきたいです』
~『東スポWeb』2021年10月27日配信記事 より
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