ヒトラーと昭和天皇を並べて動画投稿してしまったウクライナ  「勘違い」では済まないあまりにも不幸な誤り

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ジャーナリストの有本香が4月26日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。ウクライナのキーウで行われたゼレンスキー大統領と米ブリンケン国務長官・オースティン国防長官との会談について解説した。

ヒトラーと昭和天皇を並べて動画投稿してしまったウクライナ  「勘違い」では済まないあまりにも不幸な誤り

ウクライナ政府の公式ツイッターにある動画の一部。現在はヒトラーとムソリーニだけ並んでいる。=写真提供:時事通信

米国務長官と国防長官、ゼレンスキー大統領と会談

アメリカのブリンケン国務長官とオースティン国防長官は現地4月24日、ウクライナの首都キーウを訪れ、ゼレンスキー大統領と会談。アメリカ大使館の再開や、さらなる支援について話し合った。ロシアによる侵略が始まってから、アメリカ政府高官がウクライナを訪れたのは初めて。会談後、ブリンケン国務長官らは隣国ポーランドで会見を行い、ウクライナ侵攻について「ロシアは失敗している」と強調した。

飯田)ウクライナは当然、必死になって戦うと。

有本)一方では、ウクライナのゼレンスキー大統領が「私たちの国は、各国の首脳が悲惨な画とともに自撮りをしにくる場所ではない」ということを言っています。

飯田)自撮りをする場所ではないと。

有本)イギリスのジョンソン首相やアメリカの国務長官となれば、ウクライナへ入ることによってのアナウンス効果は大きいのですけれども。「行きたい」という首脳の声は多いようですが、「少し待てよ」ということでしょう。

手厚いウクライナ支援を行っている日本

有本)このところ日本との関係においては、いくつか特筆すべき事柄がありました。1つは先々週くらいでしたか、日本が2度目の防衛装備品等の支援を決めましたが、そのなかにドローンが入っていました。

飯田)ウクライナに対して日本ができる支援のなかに。

有本)攻撃用に使うドローンではないということですが、日本が防衛装備品として支援できるギリギリのところを決断したと思います。

飯田)日本として支援できる。

有本)これは安倍政権のときに、「武器輸出三原則」を事実上、撤廃したことによって可能になったことだと思います。

飯田)「武器輸出三原則」を。

有本)岸防衛大臣を中心に、閣議決定で迅速に決めて送ったということです。日本のウクライナ支援はある意味、異例なほど手厚いわけです。国民もウクライナを応援しようということで、寄付も数十億円規模で集まったという発表もありました。

昭和天皇とヒトラーを並べて動画投稿してしまったウクライナ ~支援しようとする日本の国民感情に水を差す過ち

有本)それはそれであり、私は恩に着せるつもりはないですけれども、ウクライナと日本との関係において「ザラッ」としたことがあったのです。ウクライナの公式アカウントと見られていたツイッターアカウントで、ある発信が行われました。

飯田)ツイッターアカウントで。

有本)そこに「我々は第二次世界大戦においてもファシズムに勝利を収めた。そしていま、再び出てきたロシアのファシズムに対して戦っている」という内容の動画があったのです。「人類はファシズムに勝利したのだ」という動画のなかに、ドイツ、イタリアのファシズムの指導者であるヒトラーとムッソリーニと並べて、こともあろうに昭和天皇のお顔をあげてしまったということで、日本のネット世論が沸騰しました。

飯田)昭和天皇のお顔を。

有本)在日ウクライナ人、あるいはウクライナに住んでいる日本人の方々などが直接抗議を行い、日本政府も外交ルートを通じて抗議し、動画が削除された。またウクライナ側からも、大使がご自身のアカウントでお詫びをしているという状況です。戦争の最中なので、いろいろな間違いがあるのかも知れませんが、ただ、これはあまりにも不幸な誤りだったという気がします。

飯田)そうですね。

有本)「勘違い」では済まない話です。ウクライナを「支援していこう」という日本の国民感情に水を差した面はあるのではないでしょうか。

多くの欧米人は第二次世界大戦終戦の歴史を誤って認識している

有本)一方で、ヨーロッパに住んでいらっしゃる方々の受け止めを見ると、「このように誤解しているヨーロッパの人たちは多いですよ」と言う人も少なくありません。

飯田)同列に扱われるという。

有本)アメリカでもまさにそうで、あの戦争に関する指導者、指導層について、勘違いして受け止めている欧米人は多いのです。この機会に日本側が、先の大戦にまつわる日本のスタンスや歴史に関する発信を強化するべきだと思います。私に言わせれば、いままでほとんどやっていないようなものですから。

飯田)我々が理解している歴史認識では、昭和天皇は最後まで干戈(かんか)を交えない道を模索し続けた。

有本)終戦のときも、日本は停戦を模索していましたけれど、そのような方向には行かなかった。終戦が延びてしまったという一面もありますが、最後は昭和天皇のご聖断です。あのとき陸軍は徹底抗戦しようとしていたわけです。しかし、その陸軍も悪かったわけではなく、「天皇を守りたい。日本を最終的に守りたい」という思いでいたわけです。それだけ追い詰められていたなかでのご聖断があり、はじめて日本の終戦があったのです。しかし、それを外国人が知らないばかりか、日本の多くの国民でも誤解している人がいるでしょう。

飯田)「無条件降伏だったのだ」と受け止めている人は多い。

有本)多いですし、実際、学校でもそのように教えています。

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