「安倍元総理の一言」に救われたイラクでの二等書記官時代 外交評論家・宮家邦彦氏が語る

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外交評論家で内閣官房参与の宮家邦彦が7月15日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。7月8日、街頭演説中に狙撃され、亡くなった安倍晋三元総理について解説した。

「安倍元総理の一言」に救われたイラクでの二等書記官時代 外交評論家・宮家邦彦氏が語る

政治 取材に応じる安倍晋三元首相=2022年3月25日午前、国会内 写真提供:産経新聞社

出会いはイラクでの二等書記官時代

飯田)宮家さんは第1次安倍内閣で、首相公邸連絡調整官を務めていらっしゃいましたが、安倍さんとの付き合いは、さらにさかのぼるのですよね。

宮家)最初は私がイラクで二等書記官をやっていたときです。当時、安倍晋太郎外務大臣のイラン・イラク訪問があり、イラクに来られました。そのときに晋三さんも政務秘書官としてついて来られたのです。

飯田)政務秘書官として。

宮家)そのときに私が通訳を大失敗しまして、途中でクビになり、とても落ち込んでいたのです。しかし、彼らが帰るときに、晋三さんだけが私のところにやってきて、「宮家さん、ありがとうございました」と言って帰っていったのです。あの一言で私は救われました。その印象がとても強かった。それが1983年の夏でした。

飯田)中曽根政権下。

福田派から安倍派に代替わりしたときにも大臣秘書官として大失敗 ~安倍晋太郎さんに怒鳴られる

宮家)もう39年前ですよ。続いて、86年に私が(安倍晋太郎さんの)大臣秘書官になってしまったのです。横に座っていたのが当時の安倍晋三政務秘書官でした。そのときも私は大きな失敗をしてしまった。あのときは清和会の代替わりがあって、福田赳夫先生が「そろそろ安倍晋太郎さんを会長に」と言って代替わりしたわけですよ。

飯田)福田派から安倍派になった。

宮家)当然、新しい派閥の領袖(りょうしゅう)ですから、いろいろな他の派閥の偉い人に会いに行かなくてはならない。翌日からそれが始まったわけです。竹下先生や宮沢先生など、偉い人ばかりです。私はアポ担当だったので、アポを取りました。でも、「挨拶だけだから、5分くらいだろう。移動も含めて20分~25分ずつくらい入れたらいいかな」と思ってしまった。最初を10時に入れて、次を10時半に入れて、11時に入れて……これで4つくらい並べて日程を作りました。それで大臣と秘書官が出かけて行ったのです。

飯田)安倍晋太郎さんと晋三さんが。

宮家)そうしたら、1時間も経たないうちに突然電話が掛かってきました。「宮家さんですか、今大臣と変わります」と。

飯田)晋三さんから。

宮家)「大臣から? 何だろう」と思って出たら……「ばかもーん!! 何だこのスケジュールは!!」と、めちゃくちゃ怒られた。それはそうなのです。それぞれの派閥に行くたびに、メディアの人が大勢待っているのだから、考えてみたら挨拶が5分で終わるわけはないのですよ。

飯田)あの当時は特にそうですよね。

宮家)それでスケジュールがガタガタになってしまい、もう大変でした。

飯田)なるほど。

宮家)私はまだ30歳を超えたくらいだったので、震えあがりましたよ。

飯田)しかも、当時の派閥政治は……。

宮家)怖かった。それで、辞表を書くつもりで、すぐ安倍家に謝りに行ったのです。しかし、当然、大臣もいないし奥様もいないし、晋三さんもいない。でもお手伝いさんだけはいたのですよ。

飯田)お手伝いさんが。

宮家)そうしたら、「大丈夫よ、私が何とか言っておくから」と。ああっ、このときも私はまた救われたのです。大失敗を2度経験しているので、安倍家とはとにかく印象が強い。

飯田)2度も。

宮家)ところが、安倍事務所はとても義理堅くて、私は数ヵ月しか担当しなかったのですが、秘書官を1回やると、何か集まりがあるときに必ず呼んでくれるのです。そういう付き合いがあったから、結果的に安倍晋三さんを39年間、横で見てきました。私は彼の側近でも右腕でもないのだけれど、ある程度、客観的に彼を見てきて、この十年で「随分成長したな」とつくづく思います。安倍政権は1期目と2期目がありますが、1期目は早かったですよね。

飯田)早かった。

宮家)でも彼が言っていることは、1期目も2期目もまったく変わらなかった。1期目と2期目の違いは何かわかりますか? 2010年と2012年に起こった尖閣事件ですよ。

飯田)尖閣の国有化。

宮家)2回目はそうですね。あれで国民の安全保障観が変わってしまった。ですから、2006年に安倍さんが言っていたときは、みんな「ん? 」という感じだったけれど。

飯田)タカ派だと言われましたね。

宮家)2010年と2012年の尖閣に関する事件が起きたために、その後は「安倍晋三さんでなければ」という感じになったのだと思います。その意味では、中国が大きな決定打になったのでしょう。それによって安倍晋三さんの考え方を国民が受け入れてくださったのだなと、強く思いました。

時代が呼び寄せ、その要請に応じた安倍元総理 ~脅威があるときには、日本の外交・安全保障政策も変わらなくてはいけない

飯田)安倍さんの考え方は、世界的に見ればスタンダードだったものなのですよね。

宮家)その通りです。世界的には普通のことなのですけれども、この国においては普通ではなかった。それはそれで理由があるのです。貧しかった時代、高度経済成長が必要だった時代の日本は軽武装でもいいのです。しかし、いまはそうではない。実際に脅威があるときには、日本の外交・安全保障政策も変わらなくてはいけないということだと思います。

飯田)そういう意味では、時代が呼び寄せた。

宮家)そして、安倍さんは時代の要請に応えた。だから8年も続いたのだと思います。

「安倍外交」は継続される

飯田)そうすると、今後の日本の外交というものは。

宮家)ただ、それは安倍さんが個人的につくり上げたものではない。やはり、いまの日本に必要なことをやった訳で、実は岸田さんもその努力の一部だったのだから。

飯田)外務大臣を務めたわけですものね。

宮家)その継続性は必ず維持されていくと思います。

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