話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回はサウジアラビアで行われた国際競走で現役騎手生活を終え、3月1日から調教師へと転身するホースマン・福永祐一にまつわるエピソードを取り上げる。
2月19日に国内最後の騎乗を終え、1週間後には中東で日本時間2月26日未明・発走の「リヤドダートスプリント(G3)」では、結果は3着も、実力上位の米国馬2頭に食らいつくファイトあふれる騎乗で、福永騎手らしいラストライドを披露してくれた。
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『(競馬に)専念していました。無事にゴールするまでは気を抜けない。いつも通りです。最後は噛みしめましたね。これで終わりかと。こんなきれいな競馬場で最後を迎える。これから徐々にいろんな感情が押し寄せてくるんでしょう』
~『デイリースポーツonline』2023年2月26日配信記事 より
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JRA史上最長記録となる13年連続年間100勝をマークし、JRA通算成績は歴代4位の2636勝。G1レース34勝を誇る、日本を代表するトップジョッキーの引退式は3月4日、阪神競馬場で行われる。
国内ラストランを終えた2月19日には、東京競馬場で記念セレモニーを開催。ここでひと足先に自身の騎手人生を振り返ってこんなコメントも残している。
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『自分が今日という日を迎えてどういう気持ちでいるのかというのは、自分自身も興味深く、心の中から湧き上がってくる気持ちを見ていました』
『後悔は尽きなかったですけど、未練は1つもありませんでした』
『騎手という仕事を味わい尽くせたのかな、と感じています』
~『日刊スポーツ』2023年2月19日配信記事 より
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こうした福永騎手のコメントには、他のジョッキーからはなかなか聞くことができない、感性あふれる“コメント力”がいつも垣間見えていた。豊富な語彙力や表現力を使いながら、自分の言葉で発することができるアスリートだったのは間違いない。
いまから27年前の1996年3月2日、「天才」と謳われた父・洋一騎手の「二世ジョッキー」として注目を浴びながらデビュー。偉大な父のおかげで当初から多くの騎乗依頼を受けるなど、恵まれた環境を与えられた若かりしころ。中京競馬場で初勝利をマークしたときも、冷静かつ感性豊かな表現で記念の勝利についてコメントしていたのが忘れられない。
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「ゴール前の声援は聞こえました。でも、それは僕個人にではなく、父をずっと応援してくれている人が多いということですから」
(1996年3月2日・中京2Rのマルブツブレベストで初騎乗Vの快挙)
~『サンスポZBAT!』2022年12月8日配信記事 「福永祐一騎手・名言集」より
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デビュー3年目の1998年には早くも、すべてのホースマンが出走を夢見る日本ダービーに騎乗。ところが2番人気・キングヘイローで14着と期待を裏切る結果に。緊張で思うように騎乗できなかった無念さを、当時から独特の感性で次のように吐露していた。
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『頭が真っ白になった』
『直線は穴があったら入りたい気持ちだった』
~『スポーツナビ』2018年6月1日配信記事 より(1998年日本ダービーのレース後コメント)
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2013年の日本ダービーでは、
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『怪物のような凄まじい馬力の持ち主』
~『Number987号』2019年10月3日発売記事 より
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……と表現したエピファネイアで挑戦。あと一歩届かなかった結果に自身の騎乗技術のなさを認め、「(ダービー2着という結果は)自分のせい」と言い切るだけでなく、こんなコメントも。
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『これほどの馬を用意してもらって、うまく乗れない騎手のせいで馬の戦績を汚してしまうのなら、いっそ辞めたほうがいい』
~『Number987号』2019年10月3日発売記事 より
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「いっそ辞めた方がいい」はなかなか自分からは出てこない言葉。いかに自分を律していたかがよくわかる。このように悩み、成績も思うように向上しなかった時期も経験した福永騎手。その一方で、自身の騎乗技術がアップしたのは、因縁の日本ダービーを初制覇した2018年辺りからだと回顧している。
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『騎手人生で一番鮮烈な思い出は、2018年に初めて「日本ダービー」を勝ったこと』
『このレースの前後で、自分の実力そのものも大きく変わったとさえ思います。デビューしてから22年も経ってからのレースですが。40歳を超えてからなんですよ、僕のスキルが上がったのは。飲み込みが悪かったんでしょうね(笑)』
~PHPオンライン衆知『THE21』2023年2月17日配信記事 より
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この告白どおり、福永騎手は40歳になる2016年にG1レースを2勝するなど「不惑」を過ぎてからレベルアップ。G1・34勝のうち、2016年以降に挙げたG1勝ちは16勝で、ここ数年で全体の半数近い勝利数を積み重ねている事実こそ、騎乗スキルが急成長した証拠と言える。
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『正直、ジョッキーとしての素質はそこまで高かったわけではない』
『努力でここまでなった男。努力に勝る天才なし、じゃないかな』
~『スポーツ報知・馬トク』2023年2月22日配信記事 より
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こう評価するのは2020年、福永騎手とのコンビで歴史に残る無敗の三冠馬コントレイルを育て上げた矢作芳人調教師だ。
天才・福永洋一の息子ながら、騎手としての才能に恵まれていたわけではなく、実際に年齢を重ねてからトップの座を掴んだ騎手人生。その秘密は過去のコメントからもわかるように、常に自分の頭で考え、自分の言葉で発言する冷静さやクレバーさを持ち続ける努力を怠らなかったからではないだろうか。
いつの時代も苦悩しながら、自らの頭で考え抜いた創意工夫で足りない才能をカバーする。騎手としての福永祐一は決して天才ではなく、むしろ努力の人だった……と言えるのだろう。
引退式が行われる3月4日は、奇しくも44年前の当日、父・洋一騎手が落馬事故でターフを去った日。しかも事故が起きた阪神競馬場で行われる偶然も、不思議なめぐり合わせを感じずにはいられない。
こうした舞台で行われる引退式で、その“コメント力”をどう発揮してくれるのか。自身のホースマンシップをどう表現して、我々ファンに伝えてくれるのか。ホースマン・福永祐一の現役引退コメントはもちろん、調教師へと転身したあとのコメントもいまから楽しみに待ちたい。