なぜ日本の少子化はここまで進んでしまったのか
公開: 更新:
東京都医師会理事で東京産婦人科医会・名誉会長の落合和彦氏が4月24日、ニッポン放送「モーニングライフアップ 今日の早起きドクター」に出演。これまでに政府が行った少子化対策について語った。
少子化社会が注目され出したのは1990年代から
飯田浩司アナウンサー)少子化問題が叫ばれて久しいですが、先生は少子化をどのように捉えていらっしゃいますか?
落合)昨今の少子化は大変深刻ですけれども、世界的に見れば少子化と言うよりは、むしろ人口増が深刻なのです。現在は世界の人口が80億人を超えたと言われています。
飯田)確かに少子化問題を扱うにあたって、国の政策などを調べていくと、1970年代までは「人口をどう抑制するか」というようなことが議論されていたようですね。
落合)戦後の第1次ベビーブームのころは、わが国でも年間260万人くらいが産まれていたのです。
飯田)第1次ベビーブームのころは。
落合)それが急激に減っていき、少子化社会が注目され始めたのは1990年くらいからです。合計特殊出生率が1.5前後のときから、国は深刻に少子化問題を考えるようになりました。
機能しなかった1994年に立てられた「エンゼルプラン」
飯田)当時はどんな政策が考えられていたのですか?
落合)「エンゼルプラン」という計画が1994年に立てられ、10年間で約6000億円の予算がつけられました。
飯田)そんなに予算がついていたのですね。
落合)少子化対策の一環として、関係省庁の大臣会合で決まったのですけれど、簡単に言えば「いろいろなところにお金をかけよう」というプランですね。これを弾みに人口が増えていくだろうという目論見でしたが、残念ながらあまり機能しませんでした。
10年間で約6000億円の予算では少なかった
飯田)先生も産婦人科の現場で施策をご覧になってきたと思いますが、医療現場にも政策の波及はあったのですか?
落合)例えば母子保健事業、各自治体を通じた形ですが、母子手帳の充実や妊婦健康診査などへの補助がありました。現在は50万円になった出産育児一時金など、こういったものが少しずつ始まってきた時代になります。
飯田)いま振り返ってみて、評価はいかがですか?
落合)歴史的に見ると、必ずしもうまくいかなかったと思います。やはり額が少なすぎた。また、政策を打つ場所が適切ではなかったと思います。あとから振り返れば、そういうことではないでしょうか。
飯田)約6000億円の予算も、1年であれば大きいですけれど、10年ですからね。しかも、よく見ると当時の文部・厚生・労働・建設各省などと細分化されてしまった。
落合)それぞれが縦割りで政策を打っていたわけです。そういったところも制度設計として適切だったのか、ということが言われています。
番組情報
医師が週替わりで登場。
飯田浩司アナウンサーと新行市佳アナウンサーが、健康に関する疑問や予防法、症状、治療法などを聞きます