『スルミ presents トップジャム』は、さまざまな業界で活躍するビジネスのトップリーダーをお迎えして、成功に至るまでの歩みやほかでは聞けない素顔に迫る番組です。
今回のゲストは、株式会社HIROTSUバイオサイエンス代表取締役社長、広津崇亮(ひろつ・たかあき)さんです。がんの線虫検査サービス「N-NOSE®(エヌノーズ)」の販売を行っているのが、このHIROTSUバイオサイエンス。最近タクシーの車内CMなどでよく見かけるようになった、と話す福田さんと石塚さん。
さて、本日はどんなお話が聞けるでしょうか。
福田:いろいろとお話を伺っていければと思います。まずは広津さんのプロフィールをご紹介しましょう。
広津崇亮さんは山口県出身。東京大学理学部生物学科卒業後、東大の大学院に進み、サントリーに入社。退社後は、東京大学大学院博士課程在学中に書いていた線虫の嗅覚に関する論文がイギリスの科学誌『Nature』に掲載されました。2013年頃から。線虫のがんのにおいの嗅ぎ分けに関する研究をスタート。2016年に株式会社HIROTSUバイオサイエンスを設立し、線虫がん検査サービスN-NOSE®が大きな話題となりました。
去年のダボス会議には日本のスタートアップとして唯一招かれたということで、本当に世界でも話題になっているこのビジネスですけれども、これだけインパクトを与えるって思ってらっしゃいましたか。
広津:いちばん最初、まだ大学の先生だったときにこの技術を発明したんですけども、そのときはマスコミにものすごい取り上げられました。「よくわからないけど精度が上がりました」とかじゃなくて、線虫が寄っていく・逃げるみたいな動いてるのがやっぱりわかりやすいんですよね。
福田:私そのニュース覚えてます。こんなことが世の中で研究されていたんだ、っていうのがすごくびっくりして。
石塚:一度、サントリーに入社されていますよね。サントリーでも医療系の研究ってされてると思うんですが、それをやめて独立をして研究しようとした経緯は何だったんですか?
広津:サントリーのときはお茶の商品開発をしていました。私は基礎研究やりたいです、って言って受かったはずなのに、毎日お茶を混ぜてるわけですけね。これ永遠混ぜるのかな、とふと気づいて1年で辞めて、博士課程に行ったんです。
元々は線虫の嗅覚の研究していたんです。モデル生物といって生物学でよく使われている生きものって限られているんですね、マウスとかハエとか。線虫は実はその一種で、ノーベル賞を取った人も8人います。だから生物学では線虫って有名な生きものでした。私が大学院生になった頃はまだマウスの研究とかできない頃で。酵母の研究室にいたんですけど、動かなくて面白くないなと思ったら、アメリカから帰ってきた先生に「線虫が流行ってるぞ」って聞いて、1人で線虫を飼い始めたのがスタートです。
福田:線虫を飼うのは低コスト、みたいな噂も聞いたんですが。
広津:ほっといたら勝手に増えますから、オスメスじゃないんです。雌雄同体(しゆうどうたい)といって、1匹で受精卵を産めるので。新しいシャーレにポンと移しておくと、勝手に卵を大体100個ぐらいバーっと産んでくれて。卵から大人になるまで4日間なので、4日後に100倍、4日後に100倍。それが低コストに繋がってるんですね。
石塚:素人にもわかりやすく教えていただきたいんですけど、線虫は何でがんに寄ってくるんですか?
広津:何で寄るのかは、実はよくわからないといえばわからないんですけど、線虫が寄る理由はエサなんです、基本的に。だから多分、エサの匂いと勘違いしているんですね。
石塚:がん細胞がエサだと?
広津:がん細胞の放つ「におい」がエサだと勘違いして寄るんです、多分。
石塚:ちなみに今、検査で何個のがんが見つけられるんですか?
広津:今は、1回、尿を提出していただいたら全身24種類。最近は小児がんとか血液がんも入ってきました。
福田:普通はがん検査って10万円とか高いお値段がかかりますよね。
広津:でもN-NOSE®なら1万6800円からです。
これは「一次スクリーニング」という新しいコンセプトです。まず全身網羅的に尿だけでわかる検査があり、可能性があるとなってから面倒な検査を受けた方が効率的ですよね。
やっぱり安いとか精度高いとか大事なので、そういうのを作りたかった。
福田:だからこそ、ビジネスとしても企業と組むのではなく、ご自身でやりたかったっていうことなんですね。
広津:そうですね、大学の先生だったということもあったのと、最初は企業と組もうと思ってたんですけど考え直しました。
なぜかというと、科学者としては安い検査として世の中に広げたいわけです。でもビジネス上は、高い検査が売りやすいし儲けやすい。だったら(安い検査としてやるなら)、自分がやろうと思って大学を辞めて、ベンチャーを作ったんです。
石塚:実は会社を一度立ち上げられて一回閉じているんですね。1回目はなぜ失敗したんでしょうか。
広津:そのときは九州大学の教員でしたが、「大学の先生は社長になっちゃいけない」「お金勘定ができるわけない」って散々言われたので、外部から社長を連れてきたんです。そしたら全然うまくいかなかった。
その理由はいろいろあると思うんですけど、やっぱり科学者が先頭に立った方が信用が増すんですよね。
福田:ちゃんと説明できる人が必要だということですよね。
広津:だから私、全部1人で説明できます、技術のこともビジネスのこともお金のことも。普通はそれを3人ぐらいやらないといけないので、時間がかかっちゃいますよね。でも、(1回目の会社では)1年かかって何も起こらなかった。
それで東京に次の会社を作ったとき、創業メンバーに、「あなた社長をやりなさい」って急に言われて。やってみたらうまくいったというか。
福田:それで2016年8月の創業からわずか5年で評価額1000億円を突破。これは想像されてましたか。
広津:目指してたのはありますよね。別に企業価値を高めたかったってわけじゃないんですけど、世界に通用したければ日本のベンチャーみたいな小さな企業価値だと相手にもしてくれないので、早く企業価値を上げて注目されないと、という思いはありました。
石塚:バイオテクノロジーって、会社が有象無象にある中で、うちは本物です、と戦っていくのって大変だったと思うんですけど、そこの戦略はどうされてたんですか?
広津:科学の世界での戦い方と一般の戦い方があると思います。科学の世界での戦い方でいうと『Nature』とか『Science』で論文書いてたので、そこは大丈夫でした。
ただ一般になると、訳のわからない絡まれ方もありましたね。科学者って、表に出ちゃだめとかマスコミに出ちゃだめってみんな言うんですよ。私も忠告を受けていたんですが。知っていただかない限りは広がらないので、変な叩かれ方をしても仕方ないと思って覚悟を持ってやってました。
福田:科学の世界で根拠があってもやっぱり叩かれるんですね。
これだけのサービスを世界に広めていくとき、日本から世界に出ていくときっていうのは、何か壁があったりしましたか。
広津:どっちかといえば、世界の方が早いですし、日本が一番難しいですね。
日本はまず値段が高くてできない、保険がききすぎてるから。それで新しいものが嫌い。なので、世界の方が全然話がしやすいです。
福田:最後に、今後の展望やこれからビジネスを始められる方へメッセージなどいただけたらうれしいです。
広津:日本人はやっぱりまだベンチャー作ったりって少ないと思うんですけど、でも逆に言うと、日本って失敗してもいきなり死んでしまうような国でもないじゃないですか。
やっぱり社会がよくできていて、のたれ死にするわけでもないので、実は冒険してもいい国だと思うんですよ。だから若い人たちにはぜひ冒険してほしいと思っています。