#16 松井秀喜(巨人) プロ初ホームラン
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◎1993年5月2日 東京ドーム
ヤクルト 3 0 0 0 0 0 0 0 1 = 4
巨人 0 0 0 1 0 0 0 0 2 = 3
HR(ヤクルト)古田1号
(巨人) 松井1号
「第4球、投げた! 打った! ライトへ! ライト見送った! ライトスタンド、ホームラン! ホームラン! ホームラン! プロ入り第1号、ライトスタンドへ見事なホームラン! 松井、プロ入り第1号のホームラン! 9回の裏、2ランホームラン! ようやく出ました松井。1軍に上がって2試合目、プロ入り第1号、高津から、今ホームイン。見事ライトスタンドへライナーのホームラン!」(実況:ニッポン放送 深澤弘アナウンサー)
「ベース一周が、僕のステージなんです」(松井秀喜)
日本では10年間で332本、メジャーリーグでは10年間で175本、日米通算507本のホームランを放ってファンを沸かせた松井秀喜。その“原点”となった一発は、33年前、東京ドームで生まれた。右翼席へ弾丸ライナーで突き刺さるプロ初ホームラン。当時高卒1年目の18歳。打った相手は、プロ3年目、この年からヤクルトのクローザーに抜擢された高津臣吾だった。
星稜高校時代は、入学時から「恐怖の1年生4番打者」として石川県内外にその名が知られ、甲子園でもホームランを量産。高3の夏には明徳義塾高校戦で「5打席連続敬遠」の伝説を作った松井。明徳義塾の馬渕史郎監督は「高校生の中に1人だけプロが混じっている」とまで言った。当然、ドラフトの目玉となり、1992年のドラフト会議で、4球団競合の末、巨人復帰が決まったばかりの長嶋茂雄監督が抽選で交渉権を獲得した。ミスターが親指を立てて「やりましたよ!」という表情を浮かべたのが印象的だった。
ドラフト当日の日記に「球界を代表するホームランバッターに松井を育て上げるのが、自分に課せられた使命」と記した長嶋監督は、さっそく「1000日計画」を立てた。とにかく松井に素振りをさせ、遠征先の宿舎や、時には自宅にも呼んで、付きっきりでスイングに目を光らせた。ミスターが重視したのは“スイングの音”。「違う! その音じゃない! もう1回!」「そうだ、その“ビュッ”という音だ!」……その音が出るまで特訓は終わらない。当初、松井は何がOKで何がダメなのかよくわからなかったそうだが、何千回、何万回と日々バットを振り続けるうちに、ミスターの言う理想の“音”がだんだんつかめてきたという。
プロ1年目の1993年、松井はオープン戦でプロの球に手こずり、開幕は2軍スタートとなった。しかしそれを発憤材料にした松井は2軍戦で結果を出し、5月1日、本拠地・東京ドームのヤクルト戦に「7番・左翼」で先発出場。待望の1軍デビューを飾った。連休中、ドームに詰めかけたファンは大いに沸いた。
デビュー戦で2打席目に西村龍二から二塁打を放ってプロ初安打・初打点を記録した松井。こうなるとファンが見たいのはもちろん「プロ初アーチ」だ。迎えた翌2日の2戦目、1-4と巨人が3点を追う9回裏、松井に打席が回ってきた。実は前の打者・駒田徳広が併殺崩れで一塁セーフとなり、もうワンチャンスが巡ってきたのである。
ここで、ヤクルト・野村克也監督は高津にこんな指示を出した。「内角に真っ直ぐを投げてみろ」。高津は指示通りに投げたが、やや甘く真ん中寄りに入ってしまう。松井はその球を逃さなかった。バットが一閃、打球はライトスタンドに飛び込み、記念すべきプロ1号アーチとなった。その瞬間、長嶋監督も「打った! 打った!」とベンチで手を叩いて大喜び。「意識はしなかったですが、フルスイングできました」(松井)
松井の一発で試合は1点差となったが、高津は後続を断ち、試合はヤクルトが勝利。実はこの試合が、日米通算313セーブを記録した高津の記念すべき「プロ初セーブ」の試合となった。この日の観客は、日米で活躍した偉大な2人の“原点”を同時に目撃したわけだ。余談だが2004年、ホワイトソックスに移籍した高津がメジャー初登板したとき、最初の打者はヤンキースの松井だった。
ヤクルト・野村監督は試合後、松井の一発について「まさに“ゴジラ打法”やな。ただ、あれは内角の球をどう打つか見てみたかったから投げさせたんや。リードしてなきゃ投げさせんよ」とニヤリと笑い、球場を後にした。さすが、したたかである。
一方、松井は試合後、記念ボールを差し出されたが「(受け取るのは)あしたでいいです」。いかにも松井らしい、大物ぶりを示すエピソードだ。
<チャッピー加藤>





