何度も大きな地震が襲って眠れないまま朝を迎えました「平成28年熊本地震」ニッポン放送報道部記者 後藤誠一郎・現地取材レポート【その1】

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私が現地を5日間取材して感じた事、そして、伝えておきたい事をまとめました。

熊本地震の取材に向かったのは、最初の地震(のちに前震:本震前に起きる地震とわかる)が起きた翌日4月15日金曜日。
現地はかなり気温が上がっていて、車の中は冷房をかけないと暑いくらいでした。

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熊本市内に入るとそれまでの街並みとうって変わって、ビルのあちらこちらで壁にひびが入っていたり、熊本城の天守閣や石垣の一部などが壊れたりしていました。
被害の一番大きかった熊本県益城町。
こちらの保健福祉センターには多くの被災者の方々が身を寄せていて度重なる余震に疲労が隠せない様子でした。

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今回の災害の最大の恐怖は、そのあと4月16日土曜日未明に熊本地方を襲った本震、そして続けて発生した阿蘇地方を中心とする「もうひとつ」の地震が同時に発生したことにあります。
熊本地方の本震が発生したとき、私は熊本市内のホテルに滞在していました。
午前1時25分、カタカタというかすかな揺れを感じた次の瞬間、床から突き上げる縦揺れと横揺れが襲い、私の寝ていたベッドは狭いビジネスホテルの客室を一気に滑るように動きました。
およそ20センチから30センチ。

感じた事のない揺れにベッドから動く事も、机の下に隠れる事もできませんでした。
ホテルは鉄筋コンクリートのしっかりとした建物です。この建物がミシミシやガタガタではありません。
ガンガン、ガシャガシャと音を立てて揺れる恐怖は、率直な言葉にすれば、「倒れる、死ぬかもしれない」というほかにありませんでした。

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直下型地震は緊急地震速報や緊急エリアメールの通知とほぼ同時に揺れがあります。
だから地震への備えとして防災体験館のような施設で、大きな揺れを一度でも体験する事を勧めたいと思います。
知っているのとそうでないのとでは、やれることが変わってくると思います。

さてその後、何度も大きな地震が襲って眠れないまま朝を迎えました。
熊本市内は私と同じような体験をした熊本市民の方たちで溢れていました。
公園やコンビニエンスストアの駐車場…なかには大きな交差点のすぐ脇に集まって、布団を頭からかぶったまま、一夜を明かした人が本当にたくさんいました。

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家が崩れるかもしれないという恐怖で、家の中にいる事ができないのです。
車で大きめな公園や学校の校庭に集まる人もいました。
車の中はどこよりも安全な場所に感じたのだと思います。

震災から何日か経って、東京から被災地の様子を知ると、「エコノミークラス症候群の可能性もあるのに、なぜ車の中で生活を続けるのだろうか?」と思う方もいらっしゃると思います。
被災地の皆さんはもちろん、したいと思って車の中で生活しているわけではありません。「生活せざるを得ない理由」があるのです。
ペットがいる、プライバシーがある程度保たれる、臭いを気にしなくていい、避難所の比較的過ごし易いところはお年寄りや体が不自由な方に譲ってあげたいなど・・・

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個々の理由はありますが、全ての根底には、「家の中は怖くていられない」というのがあると思います。
避難所の建物すら怖いのです。
被災地で報じられる、建物の下敷きとなって犠牲となった方の話を聞けば聞くほど、安全な場所は車の中以外にないのです。
だからエコノミークラス症候群が怖くても車の中で生活せざるを得ないのです。
しかし、これ以上の長期間となれば限界でしょう。
ぜひ、それに代る安全な生活基盤の確保を用意する必要があると思います。

今回の取材を通じて、熊本の皆様の温かさを感じる瞬間が多くありました。
取材中の私に「大変でしょう」と、目の前の避難所でもらったばかりのはずのペットボトルの水を、分けて下さろうとしたおばあさん。
自らが被災しているにもかかわらず、ボランティアとして避難所で手伝う、中学生、高校生の皆さん。
「地震に負けない!」と書いた大きな紙を、自宅に張っていた男性。

そしてなにより記憶に残っているのは、震災の次の日から各地で汗を流す熊本に駐屯する自衛隊の方と、地元の方との固い絆です。

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~【その2】に続く

ニッポン放送報道部記者 後藤誠一郎

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