寂庵の春とは?【瀬戸内寂聴「今日を生きるための言葉」】第219回
庭で鶯(うぐいす)が鳴きました。空気は沈丁花の香に満ち、梅はまだ咲き残り、椿は赤く、山茱萸(さんざし)は花を枝いっぱいにつけて空をささえています。寂庵の春の風景です。 瀬戸内寂聴
庭で鶯(うぐいす)が鳴きました。空気は沈丁花の香に満ち、梅はまだ咲き残り、椿は赤く、山茱萸(さんざし)は花を枝いっぱいにつけて空をささえています。寂庵の春の風景です。 瀬戸内寂聴
自分にどんな能力があるか、どこまでやれるのか、やってみなければわかりません。自分の能力に「ここまで」と線を引いたら、本当にそれまでになってしまいますよ。 瀬戸内寂聴
この世の形あるものはすべて滅び、一寸先は闇なのです。生き延びるためには、目に見えないものにもっと心の目を凝らすしかありません。 瀬戸内寂聴
良いことばかりが続いたとき、「自分は神さまや仏さまに可愛がられている」なんていい気になると、思いがけない不幸に見舞われます。謙虚になることが大切です。 瀬戸内寂聴
人間は誰かを愛するために生きています。しかし、誰かを愛した瞬間から苦しみが伴います。だからといって、苦しいから愛さないというのは間違いですよ。 瀬戸内寂聴
一日の終わりに、自分が人間として恥ずかしくない一日を送ることができたか反省すると、おそらく多くの人が恥ずかしい行動や考えを持った自分に気づくことでしょう。 瀬戸内寂聴
喧嘩はしない方が得です。喧嘩をして勝ったとその時思っても、本当に勝ったとは言えません。あんまり意地を張らないで、運命に任せながらじっと耐えることです。 瀬戸内寂聴
この世での本当の幸せとは、名誉や地位を獲得することでは決してありません。 瀬戸内寂聴
亡くなった人のために写経をしてあげてください。写経をすると、自分も亡き人もその写経によって魂が休まります。一行でも二行でもいいし、鉛筆でもいいですから、心をこめて写経をしましょう。 瀬戸内寂聴
お釈迦さまは、人生のある時期に覚醒して修行し、自己を見つめ、他のために尽くせと教えています。今がそのときなのではありませんか。 瀬戸内寂聴
人生には浮き沈みがあります。良い流れのときには決して驕(おご)らず、悪い流れのときには僻(ひが)まずに耐えて、うまく乗り越えていきましょう。 瀬戸内寂聴
「若き日にバラを摘め」という言葉を若い皆さんに贈ります。美しいバラを摘むと棘で血が出ますが、若いうちは舐めておけば治ります。傷つくことを恐れず、何でも試してみてください。 瀬戸内寂聴
わだかまりを捨てると、心に風が吹きます。心に風が吹くと、病気も遠ざかり、豊かな老いを迎えられます。 瀬戸内寂聴
情報を正しく見極めるために、自分の知恵を養うことが大切です。あの人はこう、この人はこうだと振り回されずに、私はこう考えるというものを持って下さい。 瀬戸内寂聴
日々のモットーは“五持つ”。健康、目的、趣味、友、お金の五つを持てば人生は愉しいのです。但し、お金は「少々」というのがミソ。 瀬戸内寂聴
財産も健康も愛する者との生活も、それが夢幻だと教えられても、人は渇愛(かつあい)があるからそれをあきらめることが苦痛となるのです。 瀬戸内寂聴
心配事があるのに相談する人がいなかったら、お寺へ行ってご住職に相談してみましょう。必ず聞いてくれます。もっとお寺に馴染んで下さい。 瀬戸内寂聴
真実の愛は地味なものです。偽りの愛の方が派手でつい惹かれてしまうのかもしれません。偽りの愛に身を投じてひどい目に遭っても、いい経験をしたと思うほかないでしょう。 瀬戸内寂聴
相手に優しい言葉をかけたり、病気の看病をしたりすることを心施(しんせ)、にっこりと相手に話しかけ、笑顔をあげることを和顔施(わがんせ)といいます。これは仏さまの心にかなう行いです。 瀬戸内寂聴
今夜死ぬかもしれないと思ったら、俄然、死ぬまでに何か新しいことをしたいと思いました。携帯電話を駆使して、世界一短いラブレターを遺すのもいいな。 瀬戸内寂聴
いくら指輪が好きだといっても十本の指に十個のダイヤモンドをはめたって、ちっともきれいじゃないでしょう。 大切なのは物より心なのです。 瀬戸内寂聴
「切に生きる」とは仏教の極意です。今というときは、すぐ過去の中に埋没してしまいます。その大切な短いときを最大限に活用し、光り輝かせていきましょう。 瀬戸内寂聴
人を恨んだりせず、一日一日をできるだけ楽しく生きる努力をして下さい。 人を許すことで、何よりあなた自身が楽になりますよ。 瀬戸内寂聴
こんなに尽くしたのに報われないという人がいます。愛情や尽くしたことへのお返しを期待しているから苦しむのです。もっともっとといくらでも欲しくなる、これを渇愛(かつあい)といいます。 瀬戸内寂聴
亡くなった人をこの世からあの世へ渡すことを、仏教用語で「引導を渡す」といいます。 今は最終宣告の意味で使いますが、元々は死者を仏の道に導くという意味でした。 瀬戸内寂聴
今日の命を大切にし、自分の存在でたった一人の心でも明るくしてあげられるように振る舞いましょう。 瀬戸内寂聴
蝋梅(ろうばい)の咲く季節になると、震災直後の神戸の町で出逢った花の香を思い出さずにはいられません。死ぬまで、あの花の姿を忘れてなるものかと、今も思い続けています。 瀬戸内寂聴
誰でも老いを恐れ、死を恐れます。若いときから人生をよく学び、考察してこそ豊かな精神の老いを迎えることができるのではないでしょうか。 瀬戸内寂聴
無明(むみょう)とは、誰もが胸の中に抱えている煩悩の闇のことです。人を憎悪するのも自分の心の無明のせいなのですから、相手のせいだと思ってはいけません。 瀬戸内寂聴
その夜はたまたま中秋の名月であった。 皎々(こうこう)と照り渡る月は、澄明(ちょうめい)な空気の山上に低く降りてきて、 星までお伴に引きつれ、金色の大屋根を神秘な光りに照り輝かせてくれた。 わたしはだれもいない天台寺の境…