若さの秘訣【瀬戸内寂聴「今日を生きるための言葉」】第159回
どこへ行っても「なぜそんなにお若いの」と質問される。 これには秘訣があるのです。 それは心にわだかまりを持たない、つまりくよくよしないこと。 昔のこと、済んだこと、いやなことは忘れて、かわりに いいことはいつまでも覚えて…
どこへ行っても「なぜそんなにお若いの」と質問される。 これには秘訣があるのです。 それは心にわだかまりを持たない、つまりくよくよしないこと。 昔のこと、済んだこと、いやなことは忘れて、かわりに いいことはいつまでも覚えて…
「いのち」とは人のはからいの外のもの。 人間は自分の智慧にうぬぼれ、神仏の領域までふみこみ、もののいのちを左右しはじめたときから、不幸がはじまったように思うのです。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あな…
情熱のきれっぱしではろくなものはできません。 ぼろぼろのお寺を五年で再興するとか、半分しか学生のいない女子大を四年で満杯にするとか、みんな奇跡的だといいますが、ほんとうに死に物狂いになったらできます。 そのかわり一生懸命…
お釈迦さまは生まれて一週間くらいで、生母のマーヤ夫人(ぶにん)を失われました。 生まれてすぐ生母に死に別れた体験は、生まれた者は必ず死ぬということ、 逢った者は必ず別れるということ、愛する者との別れはどんなにつらいかとい…
わたしはただの一度も、一瞬も出家したことを後悔したことはないのです。 これはとうてい自分の力ではありません。どんなに好きあい一緒になった夫婦でも、十年もすれば別れたいと一度や二度は思うもので、倦怠期はさけようがないはずで…
エイズとは驕りきった人類、退廃しきった地球への神の警鐘であり、怒りのしるしであったかもしれません。 弱者への愛と、聖なるものへの謙虚さを試される、踏み絵であるのかもしれません。 もしかしたら、人間が人間として蘇生する最後…
あなたが平凡な家庭を守り、平凡な人生を送りたいと思っているならば、別れ道に立ったときに平穏な道を選ぶべきです。 そのほうが穏やかに暮らせますし、つらい思いもしないですむでしょう。 けれどももし、人よりもすばらしい世界を見…
叱るということは愛情があるからです。 愛情がなければ叱る情熱も湧いてきません。 本気で叱るには、情熱とエネルギーがいります。 自分に向かって、本気でぶつかってくる親に対して、子供も真剣にならざるを得ないでしょう。 わたし…
わたしはまだ至らないので、侮辱されると腹が立ち湯気がたつほど怒りますが、その後、持仏堂にかけこみひたすら祈ります。心が猛り狂っているのでまともな祈りのことばも出てきません。それでお経をあげます。 帰依する天台宗の経典が法…
人間は自分の弱さを知っているからこそ、さまざまな習慣の中から、無数の掟や、罰をつくり出すのでしょう。 しかしいつの時代でも、掟からはみだし、その罰を骨身のたわむほど受けても尚、反逆の道を歩かねばならない人間がいます。その…
「あなた、恋をしているのね」 と聞かれたとき、 「もうすんだのよ」 と答えた人がありました。 しているというより終わったという答えのほうが、 はるかになまめかしく、 おいしい葡萄酒のような短編小説を読んだかのような後味が…
仏は、人間が迷うものということをよく御承知です。 煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)ということばがあります。 迷って迷って、五欲煩悩迷妄(ごよくぼんのうめいもう)の果てに浄土を見ることができるという意味です。 たくさん迷っ…
わたしを残して他界していった人たちの魂。 わたしの人生で重要な役を果たしてくれ、逢うべくして逢った人たち。 わたしはこの頃、いつでも自分の身のほとりに、彼らの気配を感じとります。 ふっと気がつくと私は彼らに話しかけ、彼ら…
ものを書くのは自分を解放することだし、自分を知ることにもなります。 自分をよく知り、魂の自由を得るところに人間の幸福が生まれてきます。 同時に、ものを書くことによって、自分の知らなかった可能性にめざめ、 それを育てること…
わだかまりをなくす方法がひとつあります。 悪いことをしたなと思ったら、寝る前に仏様にお詫びをしましょう。 「わたしは今日、こんな悪いことをしてしまいました。ごめんなさい」。すると胸がすっとしてその日のわだかまりがとれて安…
冬の後には春が来るように、わたしたちの悲しみや苦痛も、永遠につづくことはないのです。 忘れられるものかと思う悲しみも苦しみも、ある日、ふと気がついてみると、薄らいでいるのを感じます。 わたしたちはどんなに苦しくても、四日…
人間とは、いいえ、わたしとは何と情けない生きものでしょうか。自分の身に体験しなければ、人の苦しさも悲しさも、実感となって身にも心にもしみてこないのです。わたしは姉の死を通して、人がこの世で受けるすべての不幸せは、味わった…
自分だけが幸福になっても、それはほんとうの幸福ではない、ということを知っておいて下さい。 すべての人間が幸せにならないかぎり、自分にもほんとうの幸福はやってきません。人間は一人で生きているわけではないのだから。 でも、あ…
ある夜、わたしはふと、土仏をひねってみました。 深夜思いついて、土をひねりはじめると、いつの間にか神経がなだめられ、いい気分になっていました。だれに教わったわけでもありません。まな板で土をこね、スプーンは形つけに柄や腹を…
「空しい」といってわたしのところへ来る人は、それをいうとき、みんな涙を浮かべています。空しすぎると身悶えするほど自分の生き方を見つめることのできる人は、空しさの底にかくされている何かを、いつか必ず掬いださずにおかないので…
波は去ったあとに、ときおり可憐な貝殻を濡れた砂に置いていったりします。 人との出逢いのあとには、必ず想い出が残されます。 たとえ傷つけ合った別れでも、想い出のなかでは美しかったことや、 なつかしかったことが渚の桜貝のよう…
「随処に主と作(な)れば、立処皆真(りっしょみなしん)なり」 『臨済録(りんざいろく)』のなかの禅語のひとつです。 どこでも自分の置かれた場所で一生懸命努力すればそこに真の生きがいを見いだせるということです。 病気になっ…
「家出」と「出家」。 共通なのは、持っているものを捨てるという点です。 「もの」に執着の強い人は、二つながらできません。 「もの」とは、物心両面をさします。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光…
昔の行者が踏みかため、無数の巡礼の涙と汗を吸いとった道をたどることで、気づかない間に心の修羅がなだめられ、悲しみがいやされていくのは、非日常の生活と、脱世間の聖なる時間がもたらす不可思議の作用によるのではないでしょうか。…
どんな辛い病気をしても、死ぬ瞬間まで努力して下さい。 人の命は、そうするに値するものなのですから。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫
庵を建てたときのお祝いに、わたしの肩くらいまでの桜の木をもらいました。ところがこの桜、毎年背丈ばかりのびるだけで、一向に花をつけなかったのです。 とうとうわたしは腹を立てて、 「ほんとうにもう、このバカ桜、来年咲かないと…
末期(まつご)の目、ということばがあります。 人間が死ぬと決まったときの目に映る世界は どんなにか美しく、愛しいものでしょう。 あらゆる、ものというものが、 ひときわ光彩を放って映ることでしょう。 お釈迦さまは死の近づい…
因果応報で悲惨な死がその人の悪業(あくごう)の報いというなら、この世で最も悲惨な死をとげた広島、長崎の原爆犠牲者たちはどうなるのでしょう。その中には生まれて間もない赤ん坊だっていたのです。 あの戦争で死んでいった人々のす…
とても生きているうちに悟りなど得られないと思っても、あきらめず、人間は死ぬまで妄念の凡夫だという反省ができるなら、すでにわたしたちは目に見えないみ仏の掌の上にすくいあげられているのではないでしょうか。 瀬戸内寂聴 撮影:…
愛する者との死に真向きになったとき、人ははじめて その人への愛の深さに気づきます。 そして、愛する者との時間の永遠を欲するため、 経ちきられるその時間に対して、 身悶えし、辛がるのでしょう。 わたしの命ととりかえて下さい…