怒りにとりつかれているときには【瀬戸内寂聴「今日を生きるための言葉」】第189回
いくら忍辱忍辱(にんにくにんにく)と心に叫んでみても、腹が立ち相手をこっぱみじんにやっつけてやりたい怒りにとりつかれることがあります。 人に対して怒りがわきおこるのは、自分なら決してそうはしない、相手の無知や破廉恥にがま…
いくら忍辱忍辱(にんにくにんにく)と心に叫んでみても、腹が立ち相手をこっぱみじんにやっつけてやりたい怒りにとりつかれることがあります。 人に対して怒りがわきおこるのは、自分なら決してそうはしない、相手の無知や破廉恥にがま…
幸せな時にはありがとう。 苦しい時には力を下さい。 淋しい時には聞いて下さい。 いつも 地球のすべての人が幸福で 平和でありますように。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫
生ぜしもひとりなり。 死するもひとりなり。 されば人と共に住するも独りなり。 そいはつべき人なき故なり。 一遍上人のことばは、人間の孤独の上に新鮮に輝いています。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなた…
亡くなった人への愛に固執(こしつ)せず、その人の生命まで自分で引き受け、 たくましく生き、新しい愛にめぐり逢いなさい。 それは不貞でも何でもない。 亡くなった霊は愛するものの、幸せしか祈っていないのです。 なぜなら彼らは…
自分のなかで表現されたがっている命のうめき声を聴く能力を持たなければ、わたしたちはものを創るきっかけがつかめません。そのうめき声を聴きとる耳と心を持つには、努力して自分を磨いていかなければならないのです。そのためには自分…
そのつけが自分にかえってくるのを覚悟するなら、不倫をとめても仕方がないでしょう。 けれど恋は必ずおとろえ、やがて冷めます。情熱は燃えたら灰になります。 恋の成就のあとに破局や悲劇もおこります。さびしさや屈辱も味わいます。…
「妄己利他(もうこりた)」は、わたしの生きる信条になっています。 「己れを忘れ他を利するものは慈悲の極みなり」 自分の幸せだけを考えない。自分の利益だけを考えるような生き方はしない。 自分の生きていることが人の幸せにつな…
すべてが老い、滅びの道をたどる運命のなかで、ただひとつ老いない滅びないものがあります。それは法(のり)です。仏法(ぶっぽう)です。ダンマパダ、真理の教えです。釈尊(しゃくそん)はそれを説かれたのです。二十九歳のとき家を出…
俗に非(あら)ず沙門にも非ずと自分を規定した良寛は、孤独と自由に徹して、あるがままの現実を受けいれました。七十歳の時はじめて訪ねて来た三十歳の貞心尼(ていしんに)とのあたたかな交りも、自然で大らかで美しい。老いらくの恋と…
祈りの習慣を持った人は必ず、自分の祈りにみ仏が今応えて下さった、 という実感を得た経験を持つのです。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫
スピーチがつづき歌や踊りが出てにぎやかに盛り上がった会場の隅で、わたしは旧友の一人とひっそり語り合っていました。彼女はわたしたちのなかでだれよりも美しく、だれよりも勉強がよくでき、いつもクラスは別でも、わたしと席次(せき…
旅の途中、物を煮る匂いが家々の窓や格子の間からふっと夕闇に流れだすとき、家に愛着がなく家族らしい家族のないわたしまで、思わず足をとめ、家族の団らんの図を描かずにいられないのは、何に対する郷愁でしょうか。 灯のもれる窓、ふ…
親の死目に逢えなかったわたしは、彼らがほんとうに死んでしまったという気がしないでいました。 その点、姉の死は非常に辛いものでした。 姉はわたしにかわって二人の死を見届け、二人の死様とつぶさにつきあったのです。わたしの知ら…
ただ小説を書きたい、それが唯一の望みだったわたしがあるとき、あるところまで来ると、耐え難いむなしさに襲われたのです。 死ぬほど苦しみ、迷い需(もと)め、わたしは祈ることを自然に教わりました。 自分の力に対して自信を一度捨…
人の愛は、無常そのもの。 心は変わるもの、無常という覚悟がなければ、信じて裏切られたと、 年中くやしがっていなければなりません。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫
三島由紀夫さんの自決のショック以来、自分も含めて、人はみないつでも死と向かいあって暮らしているとしか考えられなくなっています。わたし自身、三島さんより早く、自殺していたかもしれません。そのわたしは、自殺するのと同じエネル…
生きるということは、死ぬまで自分の可能性をあきらめず、 与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫
釈尊(しゃくそん)の教えは、あくまで自分の心のなかからの声を聴けというものです。 自分こそ自分の主人 どうして他人が主人であろう 自分をよくととのえたなら 自分こそ得がたい 主人になるだろう (法句経…
百八つは、数字の百八つではありません。仏教では無限を意味します。 大晦日に鐘を百八つ、人間の煩悩を叩くといわれるのは無限の煩悩がわたしたちにはあるということです。心を清らかにすれば煩悩がなくなる。人を憎まなくなる。人を愛…
出家とは生きながら死ぬことなりとおもっているわたしにとって、 死はもうすでに終わっていて、今ある現身(うつしみ)は、仮の姿でしかないのです。 じたばたしたって死ぬときは死ぬのですから覚悟はついています。 足のふみ場もない…
愛というのは、人を喜ばせること、人のために尽くすことです。 それには気持ちの先まわりをすること。相手がいま、何を欲しがっているかを見抜き、そのことをしてあげる。いやがることはしない。 愛とは、想像力です。 瀬戸内寂聴 撮…
自己をわすれるとは、自己を捨てること、つまり我執(がしゅう)を捨てるということです。 宇宙の真理はそのときにこそ、はじめて自己に語りかけてきます。 道元(どうげん)はそうなったときのことを、 「あきらかにしりぬ。心とは山…
夫や、子供や、両親や、愛した人のために、わたしがしてあげている、尽くしていると思うと腹が立ちます。 わたしは好きでしている、好きだから勝手に尽くしていると思ったら腹は立ちません。 ほんとうは好きでさせてもらっているのです…
あるときわたしは自分の多忙さに負けない方法を考え出しました。 どうせ何かの縁で引き受けてしまった以上、どの仕事も喜びをもって心から進んでやりこなすのです。厭々(いやいや)することには情熱は湧きません。情熱の湧かない仕事は…
愛とは世界に向かって、人類に向かって、宇宙に向かって押しひろげてゆくとき、はじめて完全な輝きを発します。 自分たちの愛だけに固執して閉じこもっていれば、愛の火は早くに消えてしまいます。 わたしたちは、宇宙のエネルギーから…
自殺など考えないで。 小さく思える自分の存在が、だれかたったひとりでもいい、その心に温かな火を灯す人間になれれば、ほんとうにありがたいことです。 たくさんの人にでなくていい。たったひとりでいい。犬でもいい。 この犬は私が…
わたしたちは、死ぬまですべて凡夫(ぼんぷ)で迷いと煩悩のかたまりです。 死にたくないとうろたえて泣く人間臭さを、だれに恥ずかしがる必要もありません。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫
鈴虫をくれた客が帰った夜、ひっそりとした庭におりて、わたしは、いただいた鈴虫をどこに放そうかといい場所を探してまわった。忙しさにかまけて、夜ゆっくり月を仰いだり、虫を聞いたりすることを忘れていたわたしを、いっせいに鳴きし…
寂聴という私の法名は、 「出離者は寂なるか梵音(ぼんのん)を聴く」という意味だと、仏教の師の今東光師から教えられています。 梵音とは、鐘とか木魚とか、お経の声とか、仏教に関係のあるすべての音です。また春の小川の音、小鳥の…
逢う、ということの大切さ、きびしさ、うれしさ、悲しさ。 しょせん人生とは逢って別れることの永遠のくり返しのように思われます。 すべてめぐり逢うものは偶然ではなく、他人には無縁にすぎぬ一つの出逢いが、その人の一生を塗りかえ…