人を愛するということ【瀬戸内寂聴「今日を生きるための言葉」】第129回
幸せとは愛する人があり、愛されて、さらに自由があることだと思います。 大いに人を愛し、たとえそこで傷ついても、次にさらに愛は深まることになるでしょう。 恐れることはありません。 傷を恐れていては愛することはできないのです…
幸せとは愛する人があり、愛されて、さらに自由があることだと思います。 大いに人を愛し、たとえそこで傷ついても、次にさらに愛は深まることになるでしょう。 恐れることはありません。 傷を恐れていては愛することはできないのです…
ボケるというのは、仏様になることです。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫
わたしは常命(じょうみょう)という言葉が好きです。 人間には常命があります。 まさに良寛のいう、 「死ぬときは死ぬるがよろしく候」 なのです。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫
わたしは老人どうしの性愛を美しいと思えるようになりました。人生の幾山河を共に渡った老人夫婦が、お互いの肉体で相手をあたためようといたわりつつ抱きあって眠る姿は、わたしの想像の中では、洗いぬかれ、流され、さらされた角のとれ…
「娘が死んだ時、あの世なんて信じられませんでした。わたしは今の家へ嫁に来たとき、宗教心など持っていませんでした。姑は毎朝毎晩熱心に仏壇の前で長いお経をあげるのですが、とても意地悪で、嫁いびりだけが生き甲斐としか思えない人…
死者の魂は、生き残された者がいかに、彼らのことを切に思い出すかによって輝きます。 死者を忘れないということとは、自分の原点を忘れないということです。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫
わたしたち人間は生まれたときから、死という種子を体内に抱えている果実のようなものです。いつも一緒にいるので、つい死について無関心になっているのではないでしょうか。愛する人の死や自分の大病に遭い、初めて自分のなかに抱えてい…
どうせ恋愛をするなら、本気で打ちこまなければつまりません。 男と女は、やまびこと同じようなものです。 せいいっぱい大きな声をはりあげたら、返ってくるやまびこも大きな声で答えてくれます。 口先だけの声を出したら、返ってくる…
世の中には祈るしかない、ということがあります。 苦しいことが襲ってきて、どうしていいかわからなくなったとき、わたしたちは思わず「助けて下さい」とさけぶ。自然に手をあわせます。 わたしたちは、自分の力が大したものではないこ…
別れは、いつでもすぐ一分後にあると考えるべきです。 大好きな花びんを、かわいい猫が落として一分後にはこわしているかもしれない。花びんひとつでもそれは別れです。 すぎていくこの一瞬も、別れでなくて何でしょう。 一瞬一瞬に心…
わたしが元気なのは、お喋りだからと思います。 思う存分喋れば、お腹にも心にも何も貯まりません。 何でも貯めると、ろくなことはありません。 ストレス解消は、気の許せる人と心ゆくまで喋ることです。 ただし、本当に偉い人とは喋…
釈迦やキリストの尊さは、他者の痛みを、自分の痛みとして受けとれる心の思いやりの深さにあります。それが愛とか慈悲とかよばれるものです。われわれ凡下(ぼんげ)の人間には、とうていそれが身にそいません。 戦後の教育は、自分だけ…
すべての宗教の究極は、ゆるすことを学ぶことに尽きるのではないでしょうか。 ゆるすとは、自分がゆるすこととはちがいます。超越的なものがゆるして存続させている、この現世の生々流転(せいせいるてん)を、悲しみの目で見守れるよう…
素直な、純な人の最期のことばが今も耳についています。 「みんながよくしてくれて、ほんとうに幸せで、今が極楽。でも、今が幸せだから、こんないい人たちと別れてひとりで死んで往くのがさびしいし、心細い」 生きている与えられた限…
野の仏と出逢うたび、わたしはまず掌をさしのべ、その顔や、頬を、肩を撫で、表情も薄れてしまった唇や目を指でなぞってみずにはいられません。 野の仏はどんな旅人の手もこばまないところがうれしい。流浪者も病人も、子供も、蝶やとん…
神や仏は、人間の弱さのすべてを見とおして、すべてをゆるし、受けいれ、励まし、ときには叱ってくれるものなのです。 何処から来て、何処へ行くかわからないわたしたちに、生まれる以前の世界を覗かせてくれ、死んで行くべき世界を見せ…
仕事に打ちこむためには恋も必要です。 恋は人間の情熱をつくる燃料です。 燃料がないと、からだも頭もよく動きません。 そして新しい恋は、旧い恋を捨てなければ訪れては来ないのです。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生き…
耐えしのぶことと、犠牲になることとはちがいます。 自分の意志で耐えしのぶ。そこに生きているはりが生まれます。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫
法隆寺で久々に百済(くだら)観音に逢う。今は硝子ケースにおさまっているこの希有な美しい仏に、十七歳の春、わたしははじめてめぐりあった。そのときは薄暗い埃っぽい部屋の中で、ケースなどには入らず、み仏は無防禦(むぼうぎょ)な…
あなたは若くて美しい。 しかしどんなに美しい人も、元気な人も、いつかはおばあさんいなって、 そしてボケて死んでいく。 なるべくボケないで死にたいけれど、それはわかりません。 ですから、ボケても仏様は見守って下さる、仏様に…
長い生涯には古い友情、古い付き合い、古い恋、そんなものを捨てなければならない人生の曲がり角もやってきます。思いきって捨てて曲がってみると、意外に心身のさわやかさに恵まれたりもします。目に見えない垢や苔のようなものを時々、…
男には、いくら愛していても、仕事や社会に時間をさかれて、妻への愛し方に悔いが残されるようです。それに比べて、夫に先立たれた未亡人のほうは、悲しみの底から、どこか力強い立ち直りの力が感じられるし、つくすだけはつくしたといっ…
愛と同じで祈りもまた、報酬を需(もと)めるのは外道です。 瀬戸内寂聴 撮影:斉藤ユーリ 出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫
わたしたちはひとつの愛を得たとき、いつでもその永遠を請い願うけれど、それは今夜で終わるかもしれないことを常に覚悟しておくべきなのです。そう思えば、その日その日に、せいいっぱいの愛を相手にそそぎ、愛情の出し惜しみなどはしな…
だれもみな、今のこの世界に起こる怖ろしくあさましい世相は地獄だと思っています。それでもわたしたちは、やはりこの世で生きていかねばならぬし、生きていたいと思うのです。 それならばこの世にいるかぎり、せいいっぱい生ききりたい…
「あなたまかせ」ということばがあります。 信仰を持つと、神や仏さままかせになるので、くよくよ過去をくやんだり、 未来を思いわずらわなくなります。 そして心が無限に自由になります。これも功徳(くどく)というものでしょう。 …
「もうひとりの自分」に気づくことは、ほんとうにむずかしい。 たとえ家族と住んでいようと、友達に囲まれていようと、もうひとりの自分を発見しない限りは孤独です。 もうひとりの自分を発見できたら、巡礼ではありませんが、同行(ど…
夫婦の間、あるいは家庭というものは、夫と妻が、相当本気で全力投球で守ったり築いたりしなければ、持ちこたえられないもので、結婚生活の成就(じょうじゅ)ということは、人間が全力をあげて守るに値する難事業かもしれません。 瀬戸…
わたしは会う人ごとに 「どうしてそんなにお元気なのですか」 といわれます。私は 「元気という病気なんです」 と、答えることにしています。 でもほんとうは心からこだわりがなくなった からかなと思っています。 瀬戸内寂聴 撮…
わたしはただ自分の才能の限界を、生きている間にできるだけ押し開いてみようと努力しているだけで、決してたいした芸術家ではありません。ただひとつだけ芸術家であろうとして守ってきたことがあります。それは、家庭を捨ててから今まで…