無垢な涙 【瀬戸内寂聴「今日を生きるための言葉」】第111回
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法隆寺で久々に百済(くだら)観音に逢う。今は硝子ケースにおさまっているこの希有な美しい仏に、十七歳の春、わたしははじめてめぐりあった。そのときは薄暗い埃っぽい部屋の中で、ケースなどには入らず、み仏は無防禦(むぼうぎょ)な姿勢のまま、空気にさらされて立っていられた。
十七歳のわたしは、参観の人々の間にもまれて、このみ仏を斜めから仰ぎ見つめているうちに涙があふれてきてどうしようもなかった。
こんな美しいもの、こんななつかしいものを近々と仰いだのは生まれてはじめての経験だった。古式の微笑のあえかさ、尊さ、あたたかさ、神秘さ、わたしは、魂をじかに仏の掌でなでられたように身震いしていた。
美しいもの、尊いものを見て涙がわくということを覚えたのもはじめての経験だった。
あのときほど無垢な涙を流したことはない。瀬戸内寂聴
撮影:斉藤ユーリ