男には、いくら愛していても、仕事や社会に時間をさかれて、妻への愛し方に悔いが残されるようです。それに比べて、夫に先立たれた未亡人のほうは、悲しみの底から、どこか力強い立ち直りの力が感じられるし、つくすだけはつくしたといったふうな、思いきりのよさを、みんな申しあわせたように抱いているように見えます。悲しみを越えて、生きようというたくましさが、未亡人の巡礼の足音にはこめられているのです。彼女たちはよく笑い、よく食べ、よく喋ります。一歩ごとに、悲しみの径(みち)は遠くしりぞき、明るい未来への道が、足許からのびていくように見えてきます。
瀬戸内寂聴
撮影:斉藤ユーリ