釈迦やキリストの尊さは、他者の痛みを、自分の痛みとして受けとれる心の思いやりの深さにあります。それが愛とか慈悲とかよばれるものです。われわれ凡下(ぼんげ)の人間には、とうていそれが身にそいません。
戦後の教育は、自分だけの利益や幸福を追い求めるようにすすめてきました。今の人心の荒廃は、そのつけが廻ってきているのでしょう。
戦死者も、地震で亡くなった人も、飛行機事故で無念の死を遂げた人々も、死者はその死によって、それからまねかれた人々を救ってくれています。見えなかったものを見せてくれ、考えられなかったことを考えさせてくれています。
それらはすべて尊い犠牲死であって、その魂はすべて聖化され、輝いているのだとわたしは信じています。瀬戸内寂聴
撮影:斉藤ユーリ