出家とは生きながら死ぬことなりとおもっているわたしにとって、
死はもうすでに終わっていて、今ある現身(うつしみ)は、仮の姿でしかないのです。
じたばたしたって死ぬときは死ぬのですから覚悟はついています。
足のふみ場もない汚い書斎で、本のトーチカの底に埋もれるように、机にうつ伏して死んでいた朝、いつものようにやって来ただれかが、いつものように徹夜のうたたねだと思って、声をかけずに去ってゆき、一時間ほどしてコーヒーを持って来たとき、ようやく死んでいることに気づく。キャーッという彼女の悲鳴で、四方から積み上げた本がばらばらと落ちかかり、わたしの死体は本に埋もれてしまう。
そんな死様(しにざま)を望んでいるのだけれど、こればかりはおはからいです。瀬戸内寂聴
撮影:斉藤ユーリ
出典:『生きる言葉 あなたへ』光文社文庫