鈴虫をくれた客が帰った夜、ひっそりとした庭におりて、わたしは、いただいた鈴虫をどこに放そうかといい場所を探してまわった。忙しさにかまけて、夜ゆっくり月を仰いだり、虫を聞いたりすることを忘れていたわたしを、いっせいに鳴きしきる虫の音が包みこんできた。あっけにとられて、わたしは虫の音の合唱の中でたちすくみながら、空を見上げたら、冴えわたる月が満月には少し欠けて、竹やぶの上に輝いている。
夜気には昼間の猛烈な残暑を忘れたように、すでにひんやりと秋の気配がこもっていた。
月光の庭をいい気分で歩き回った末、裏の畑と竹やぶのつづきの草むらで箱をあけた。そこはわたしの書斎の窓の下に当たる。
白煙ならぬ黒い鈴虫がいっせいにもぞもぞと這いだし一瞬の間を置いて、りーん、りーんと夜気の中にはりあげる。
月光の下でわたしはふと、浄土だなと思っていた。瀬戸内寂聴
撮影:斉藤ユーリ