9/1防災の日の前後4日間に短期連載でお伝えした今すぐできる第一歩「ちょっとだけ意識しておくこと」では、今すぐ体験して頂ける身近なスポットをご紹介しました。
その9/1防災の日の起源は言わずと知れた「関東大震災」。
実は、その「関東大震災」の痕跡を今でも身近に感じられる場所があります。
横浜の山下公園です。
山下公園は横浜港に面した、幅およそ100m長さ約750mの細長い公園。
海を眺めながら燦々とお日様の光を浴びて、お散歩したり、芝生でお弁当を広げたり、ベンチで本を読んだり…横浜ベイブリッジやみなとみらいなど横浜港の景色が楽しめ、デートスポットとしても大人気。
今から86年も前の1930年(昭和5年)に日本初の臨海公園として完成し愛され続けている市民の憩いの場です。
震源地の相模湾海底に近かった横浜は「関東大震災」では壊滅的な被害を受けました。
内閣府の広報誌「ぼうさい第39号」によると、当時の横浜市の人口は約42万人で東京市の約220万人に比べると1/5程でした。
にもかかわらず、住家全潰棟数は東京の1万2千棟をはるかに超える1万6千棟だったのです。
いかに揺れがひどく被害が大きかったかが判ると思います。
その瓦礫の処分場として選ばれたのが横浜港の一部。
レンガ等の瓦礫で海岸が埋め立てられ、整地されて山下公園が造られたのです。
開園から5年後の1935年には“復興記念横浜大博覧会”が開かれ、まさに復興のシンボルとなりました。
そして山下公園の西側、大さん橋側の端にはモスクのようなエキゾチックな雰囲気の建物「インド水塔」があります。
解説板には‘関東大震災の際、横浜市が被災したインド商人をはじめとする外国商人の救済を積極的に行い、そのお礼としてインド商組合から贈られたもの’だということが書いてあります。
昭和14年に建てられました。残念ながら今は、水は出ていませんが、関東大震災と横浜の歴史を静かにそっと伝えています。
今や横浜の代表的な観光地となった山下公園。
バラをはじめ四季折々の花が咲き、芝生や木々の緑と真っ青な空と海が都会の喧噪を忘れさせてくれます。
公園に漂うのんびりとした温かい空気は、震災から立ち上がろうとする当時の横浜の人たちの強さが作り出したものなのかもしれません。
まだ夏の名残をとどめる強い日射しの中そんなことを考えていたら、突然の俄雨の後にダブルレインボー!
二重の虹には「卒業と祝福」という言い伝えがあるそうで、まさしく復興のイメージですよね。
レポート:ひろたみゆ紀