わたしはインドを歩きつづけながら、
「生きながら死して静かに来迎をまつべしといふ、万事いろはず、一切を捨離(しゃり)して、孤独独一なるを死するとはいふなり」
という一遍の法語を、常に思い浮かべていました。孤独独一という烈しい決然としたことばは、けだし一遍の造語でしょう。背をまるめつんのめるようにして歩いていく一遍のうしろに同朋衆(どうぼうしゅう)の姿が幾人連なっていようと、前方をきっと見据えた一遍の瞳の中の孤独の色は、日ごと、年ごとに濃くなっていたのではないでしょうか。
釈尊をはじめ宗祖や開祖と呼ばれる人々は、この厳しい凍りつくような孤独を抱いている人たちばかりです。そして何といっても、恩愛(おんない)を断ち切れる強さを持った人たちなのです。瀬戸内寂聴
撮影:斉藤ユーリ